すすめ北前船

北海道発のFM放送「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」を瀬戸内海からFBとブログで発信しています

「すすめ!北前船第6回」(小樽)

これのブログは、FMしろいし局から放送されている「チエンバリスト明楽みゆき」の特別コーナ『進め!北前船』のFBへのコメントを再構成したものです。

 

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 小樽市の歴史的建造物として残されている嶋谷海運旧社長宅は、瀬戸内海の坂越にあるアース製薬の創業者ゆかりの方の自宅でした。

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 今回ゲストの土屋さんは、北前船の遺産を活かしたまちづくりの講演で各地で活躍されています。

 

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すすめ!北前船第6回

明治に入り北前船の活躍舞台が、江差から小樽に代わった背景について、2017年9月10日の放送から紹介します。

 ゲストの元小樽総合博物館館長の土屋周三氏は、北前船が運んできた品物、運河沿いの倉庫との関連、船主たちの貴重な歴史資源をどう観光に繋げていくか考えて来られてきた方です..

 

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 放送から、通信、交通の発達で、地域間の価格差がなくなっていく中、開拓民の生活を支える物資を大量に運ぶ必要から、新たな需要が生まれていたのがわかりました。

 

 明治に入り、江差中心から小樽に北前船の舞台が代わった背景を語っています。

 


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 (写真は、第30回全国北前船研究会セミナー左から4番目が土屋氏)

 

 北海道に開拓使が設置された明治2年の人口が6万人から、明治30年には100万にまで人口が急増から北前船の終着港がかわったと紹介しています。

 この急激な人口急増は、生活物資の不足が生じ、ここに北前船が道南から小樽で活躍するようになったと語っていました。

 小樽に残る有名な倉庫群はそれを今に伝えています。

 

 明治政府の文明開化をすすめる中、帆船から蒸気船に切り替える政策を打ち出した事について、以下のように語っていました。

 明治政府の改革の中、従来型マストを二本の和船が活躍していた背景については以下のように紹介していました。

 一つには、資金面の問題で、蒸気船購入は難しかった事、従来型の帆船は、荷物の積み降ろしが甲板がない為に便利だった事もあり、特に近海では蒸気船に転換出来なかったと語っていました。

 この「すすめ北前船」は、毎金曜日14時からfmしろいし局されている「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の後半部分で放送されています。2日後の日曜日の20時から再放送されその後、北前船寄港地13か所で収録放送されています