『北前船浪漫紀行』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」をFBとブログで発信しています

「第44回すすめ北前船」⑤鹿児島城

名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城

 

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ゲスト原口泉氏は、志學館大学教授で鹿児島県立図書館館長。

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 港に近い鹿児島城(日本100名城)は天守閣がなく、20メートルの立派な御楼門が2020年3月に復元された。
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2020年2月(工事中)

 かつてこの御楼門から城下町が広がり、港には役所等がある港湾都市で、この港から豊かな藩に変貌していく。 

 貢献したのが中国からの麝香を必要とした富山の薬売りと、地元の廻船業者。

 原口教授は、蝦夷地から昆布を積んだ富山の船が港に着くとまず鹿児島城に挨拶に行き、その立派な御楼門に驚き、その絵図を描いたと紹介している。

 

 薩摩の特産品は奄美琉球の黒砂糖で、大坂等で薬として重宝され高く売られていたが財政難で苦しんでいた。加えて島津家から11代将軍徳川家斉に輿入れした事で、更に財政は深刻になる。

 

この救世主が、琉球経由での中国との密貿易。

薬の原料の麝香(ジャコウ)は長崎経由で大坂道修町で買う事が出来たが、幕府の言い値のままだった。

そこで薩摩藩は中国から仕入れた麝香で薬を作り、これをカムフラージュするため薩摩

での麝香栽培の許可を幕府から許しを得ている。

中国が欲しがる大量の昆布を富山の売薬組織の薩摩組が北前船で運び、鹿児島港から琉球の昆布座の役所に送られ中国に輸出された。

 鹿児島では、18世紀昆布を運ぶ船を北前船とよんでいたといい、薩摩に入れたのは、昆布を運んでいた富山の薩摩組の人達だけ。

薩摩に多くの情報をもたらし、薩摩で禁止されていた浄土真宗を広め、天保の時代14万人が摘発された例もあげている。

 島津家800年の歴史や文化を紹介している博物館「尚古集成館」(写真2020年2月)には、北前船の模型が展示され、発行された書籍に江戸期の鹿児島の港に停泊する琉球の船が描かれていた。


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それから200年が過ぎた今も、薩摩と富山は交流があると紹介している。

富山の薬売りについて5月の放送のNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」で原口教授のインタビューがあり、島津斉彬が富山の薩摩組の金盛五兵衛に贈った掛け軸と、島津久光が贈った刀の話をされ、9代目金盛正寛氏を紹介していた。 

 掛け軸には宝船が描かれていた事から、石狩市北前船紀行地フォーラムで参加者に配布された石黒隆一さんの『宝船』(写真)にふれ、これは貴重な書籍と紹介している。

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 薩摩廻船の日本海側の活躍はあまり知られていない。

 薩摩の抜け荷を調べた江戸幕府の記録『北越秘説』について『近世日本海海運史の研究―北前船と抜荷 』で深井甚三氏が詳しく書かれでいる。

 浜田・出雲崎、輪島に薩摩廻船の記載が多くあったが酒田は不明と記載されていた。

 

 そこで、酒田にある薩摩の足跡があったことを知らせたいと 『北前船寄港地酒田から全国帆船リスト』(2018年公開)を企画し、北前船寄港地フォーラムで関係者の方々にお渡した。
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この番組のゲスト庄内酒田古文書館の杉原丈夫館長も、酒田光丘文庫の7冊の客船帳の全国図を原口教授に渡している。(写真)


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鹿児島が北前船で活躍していた事を知る人が少ない中、鹿児島で北前船のフォーラム開催の意義は大きい

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 放送から半年後の2020.11佐倉の国立博物館でそれまで未公開だった、酒田沖飛島の客船帳を見せて頂いた。

 70冊の中に薩摩の濱崎家の名をがあつたので、原口先生にこの写真を送った

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 「濱崎太平次の一族で、俳優の濱畑賢吉さんの先祖だ」と教えて頂いた。

 指宿出身の濱崎家は全国支店網があり、北前船で北海道と貿易で琉球にも行っていた。

参考文献
『近世日本海海運史の研究―北前船と抜荷 』深井甚三氏著