『名城と北前船寄港地巡りの旅』⑬福山城と鞆の浦
福山城と鞆の浦について、2018年まで鞆の浦歴史民俗資料館で学芸員をされていた園尾裕さんのインタビューから紹介します。
日本100名城の福山城は、新幹線福山駅の北口を出ると目の前に城壁がそびえたつているのが見える。
2016年7月筆者と福山城ガイドの久保田さん!
福山城は、一国一城令(1615)の後の築城で、その背景が西の広島藩浅野家、東の岡山藩の外様大名を監視する役目があった為、初代藩主となった水野 勝成は徳川家康の従兄弟だった。
勝成は、築城にあたり芦田川河口の三角州に選んだため、井戸を掘っても塩気を含んだ水しか出なかったので、上水道整備をすすめ城下町を築いている。
この上水道は、神田、赤穂、近江八幡、大分中津に次ぐ5番目に造られ、赤穂上水道、神田上水道と共に「日本三大上水道」といわれている。
鞆酒造(株)提供
勝成は、福山へは鞆の浦の湊から上陸している。
鞆の浦には、立派な鞆城があつたが、一国一城令が出る前の1609年廃城され、この鞆城跡に福山藩は奉行所を置いて、船の出入りや安全を管理・監督していた。
こうして港を中心とした商業で賑わう町として発展していく。
園尾さんは、29ある鞆の浦の「日本遺産構成文化財」から代表的なものを紹介している。
鞆の浦の象徴である江戸時代の港湾施設、「常夜燈・雁木・波止・焚場跡(今のドック)・船番所跡」が残っている。
写真 鞆酒造(株)提供
一番目立つ「常夜灯」は、高さ10mを超え、当時は航海の目印になり、160年前から鞆の浦のシンボルになっている。
「雁木」は、船着場として大きな役割を果たし全長約150mあり、海の干満に合わせて見え隠れする石段で、その先端には大波を阻む石積みの防波堤「波止」が横たわる。
波止場 鞆酒造(株)提供
「重要伝統的建造物群保存地区」は、廻船業の物資を保管するための白壁の蔵、路地には豪商の屋敷が当時の面影を残し、8.6ヘクタールの町並みが続いている。
鞆酒造(株)提供
「保命酒」は福山藩から専売品として奨励され、 江戸幕府からも備後の特産品として保護され、諸大名の贈答品や饗応の酒として用いられ、朝鮮通信使、 幕末に来航したペリー提督にも供された。
保命酒 の起源は、約360年前の万治2年(1661)大阪の医師・中村吉兵衛が、醸造業で栄えていた鞆の浦の酒と16種類の漢方の薬草を配合して造ったものである。
鞆酒造(株)
掲載の鞆の浦の写真は、鞆酒造(株)代表取締役 岡本純夫社長のHPから掲載させていた頂いたもので、岡本さんは保命酒協同組合の代表理事長をつとめられている。
鞆の浦には今も4軒の店が保命酒を製造し、歴史ある名産品として販売されている。
園尾さんは、2009年札幌の開拓記念館に出張で行き、鞆から運ばれた江戸期の酢の徳利を借りており、鞆が北前船で北海道と交易をしていた事を確認している。
鞆には鰊粕等が運ばれ、鞆からは、タバコ、米、古着、井草、綿、酢、砂糖、塩等が北前船で運んでいた。
鞆の浦は、「朝鮮通使がユネスコ世界の記憶」「港町文化が日本遺産」「町並みが重要伝統的建造物群保存地区」の3つがの評価をうけている。
福山はまた、錨、船釘等の鍛冶の歴史が今に引き継がれ鉄鋼の町になっている。