「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

「北前船寄港地・船主集落の旅」第2回  佐渡

2020年4月「BS新日本風土記」で『北前船のおくりもの』が「北前船寄港地船主集落」(日本遺産認定)の地域から2週にわたって放送された。

 佐渡市教育委員会にBSに出演された方を紹介していただいた。
 その方が、FM番組「明楽みゆきの浪漫紀行」の今回のゲスト、佐渡国小木民俗博物館 元館長で 学芸指導員の高藤一郎平さん。
 
高藤さん(左)と石黒さん(右)

一方、石狩市の歴史研究会の石黒隆一さんは、何度も佐渡へ行き、高藤さんと長年交流があった事から、明楽みゆきさんの放送を聴いた感想を写真入りでFBに投稿された。

   石黒さん提供
 石黒さんは、ジオラマ石狩市厚田道の駅に展示中)で弁財船を再現するにあたり、白山丸の構造や製作方法などを高藤さんのから聞いて参考にしている。
 石黒さん提供
石黒さんによる内容は以下のとうりです。

160年前の「千石船」復元の決め手になったのは、「側面だけでなく平面図もある幸栄丸の板図を発見したことだった。 真っ黒の板を洗ったところ、鮮明な板図(十分の一の設計図)が出てきた」と話されています。

  私が佐渡に行ったときに、高藤さんからその板図の赤外線写真データを提供していただきました。本当に貴重な資料です。
 
白山丸の板図を石黒さんに紹介している高藤さん 。

 高藤さんのお話も尽きることなく、インタビューでは気仙船匠会の船大工さんと地元船大工さん、そして、復元を支えた地元の皆さんの喜びを印象的に話してくださいました。

完成した白山丸をどう保存するかという議論の中で陸上保存を選び、そのために船大工さんが望んだ進水式を行わなかったことについて、高藤さんは当事者ならではの苦悩を話されていました。その時に陸上しかも屋内保存を選択したから、今の白山丸を見ることができるわけですが・・・。

<宿根木の街並。狭い面積に密集して生活していたので、道が狭く、独特の風情がある。写真は有名な三角家

その他、放送で特徴的だったのは、宿根木の街並み保存とたらい舟の話でした。たらい船が今も漁業に使われていること。かつては、それぞれの家に家族の数だけたらい船があったこと。


宿根木のたらい舟。これは観光用だが、今も漁業に活用されている

たまたま見ることができた大樽の技術伝承風景。千石船展示館・白山丸の横で取り組んでいることが印象的。これを半分に切って、たらい船にしたという。(2019年5月に佐渡を再訪時)

高藤さんの世代は「親父のたらい船で大学にいかせてもらった」「味噌醤油の樽を半分に切って船にしたので半切りといわれていた」など、本当に興味深いインビューで佐渡にまた行きたくなりました。
 
 いつも思うのですが、明楽さん、本当に聴き上手ですね。私がこれ以上説明しても、今日の放送の魅力を伝えることはできません。やはり再放送を聴くしかありません。

 以上の石黒さんの投稿は、佐渡の「北前船寄港地船主集落」のようすを生き生きと述べられている。
今回は、写真を含めほぼそのまま掲載させていただいた。

 
ここで話は変わるが高藤さんは、明楽さんのインタビューの中で、佐渡に影響を与えた離島振興法(昭和28年)成立に尽力した宮本常一民俗学者)の提案で、大正9年築の旧宿根木小学校を民俗博物館としてのこされたとの紹介があった。

出典   佐渡国小木民俗博物館 のHP
佐渡での常一の助言、そして高藤さんの佐渡への想いが今日まで地域おこしを支えてきている。

常一は、全国をくまなく歩き、私の郷里坂越にも昭和25年と43年に来ている。 赤穂塩を長年研究していた廣山尭道 を同志と呼び、常一もまた『塩の道』を出版している。

加えて能楽の祖、世阿弥佐渡に流され、観世流として現代に受け継がれた具体的な流れも高藤さんは紹介された。
 この話から、世阿弥の先祖の秦河勝ウツボ舟で坂越に逃れてきた『風姿花伝』(世阿弥著)の記述も思いだした。


 (一社 )佐渡観光交流機構 提供

坂越については、「北前船寄港地・船主集落の旅」 坂越港で紹介します。