「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

「北前船寄港地・船主集落の旅」第8回 浜田市 白山市

第8回 浜田市 白山市

 はじめに、島根県浜田市文化財審議委員・阿部志朗さんのお話から紹介します。

阿部さんは、益田翔陽高校地理教諭から2021年4月からは島根県立津和野高校教頭としてご活躍です。

2020年3月「第30回北前船寄港地フォーラムIN浜田」が予定されていた。
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新型コロナで中止となった「北前船寄港地フォーラムIN浜田」


阿部さんは、このフォーラムで「二つの日本遺産と浜田」をテーマに講演予定だった。


この開催は、2019年度の最後を飾る「浜田城開府400年記念行事」でもあった。

 浜田城は続日本100名城で、元和5年(1619)三重の松坂藩から古田重治が浜田に転封し、海に面した自然の地形を生かし築城している。漁村にすぎなかった地に城下町ができ、5万4千石の浜田藩が成立した。

 浜田城下には、外ノ浦・瀬戸ヶ島・長浜の三つの港があり、「外ノ浦」は浜田藩にとって最も重要な交易の港で、
外ノ浦の町並みは4つの日本遺産構成文化財のうちの1つである。

 
 この外ノ浦の廻船問屋清水家に所蔵されている客船帳も日本遺産構成文化財で、延享元年(1744)から明治35年(1902)までの加賀 越前、北海道、東北、九州、北陸、四国など8906艘の入船記録が記載されている。

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 写真提供:阿部志朗氏

この他、構成文化財でないものの、『浜田城下町絵図』には「北前外海」の記載がある。この「北前外海」は、北前船の語源を考える際の「最重要」史料の一つと紹介している。

この地方は、石見の名のごとく石ばかりの地で田畑が少なく、船での交易と特産品がこの城下の繁栄を支えた。

 江戸時代前期の特産品は、鉄、和紙、干物、麻、後半になって、石見焼、石州瓦、が加わり、この売却資金で、東北の米、瀬戸内の塩、九州の砂糖などを買っている。
 
はんど”と呼ばれる水甕や、大型のすり鉢などの“石見焼”や“石州瓦”は、他の特産品と違い150年たっても各地に残り、小樽の博物館にもその足跡ある。
これらは小樽・松前江差などの港に運ばれ、北海道内各地に広範囲に残されている。小樽市博物館には石見焼を象徴する「はんどう」がある他、茶色の水甕は、鹿児島にもあったという



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小樽市博物館にある石見焼の「はんどう」 提供 阿部志朗氏


 石州瓦の石州の語源は「石見地方」の別名で、表面の釉薬の色は赤茶色で、裏はクリーム色の陶土がむき出しになっているという。

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     写真提供    阿部志朗氏

また島根の職人が、小野田(山口)、下関、福知山等に出かけ、石見焼、石州瓦の技術を伝えた例から、物だけでなく舟運と北前船を通した人の繋がりの例がある。

明楽さんが次の世代に何を伝えたいかとの問いに、「地方は何もないとか、面白くないという風潮があるが、島根の土、植物 魚等を加工して付加価値をつけて各地に運んでいた先人の知恵と勇気を、教育の現場で活かし伝えたい」と答えている。

 

 阿部さんは、北前船と河川舟運が連結した物流の実態の研究者でもあり、10年程前から石狩川岩木川米代川雄物川最上川.・信濃川阿賀野川円山川.・手取川白山市)などで石見焼等の調査をされている。

 その中から北前船の日本構成文化財が沢山残る手取川の調査について写真と共に情報を提供して頂いた。

 北前船で運ばれた時代の「石見焼」が、海岸部だけでなく手取川を遡って中~上流の内陸部、山間部にも運ばれ、戦後の新しい製品もあり、いずれ精細な調査をしたいとコメントを頂いた。

       
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手取川中流白山市瀬戸地区の国道沿いにある石見焼の「はんどう」
右の写真には 泉窯の窯印(イ⏋)が見える
(明治36年~大正9年島根県江津市の泉窯でつくられたもの)

      

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       写真提供 阿部志朗氏

手取川上流の石川県立白山ろく民俗資料館(白山市白峰)の移設家屋内の「石見焼」 

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続いて、2020年『北前船寄港地・船主集落』で日本遺産に追加認定にかかわった白山市文化財保護課・村上和生雄課長補佐のお話を紹介します。


 白山市は、平成17年美川町松任市等が合併し、金沢市に次ぐ人口が多い市が誕生している。

  
手取川は、石川県最大の河川で、美川の名は、手取川左岸の能美郡湊村と右岸の石川郡本吉町、それぞれの郡名をとり美川町となった。
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手取川 (社団法人石川県観光連盟提供)

江戸期には川の両岸の町は、それぞれ北前船で賑わっていた事から、手取川河口付近に北前船の日本遺産構成文化財が集中している。

河口右岸の本吉湊(美川地区)のフグの卵巣の糠漬けもその一つで、かつて材料のフグは佐渡などの寄港地から北前船で運ばれており、現在も美川の特産品として製造販売されている。

かつて石川郡美川町に石川県庁があった事から、石川県の名の由来になり、「石川ルーツ交流館」ではその歴史を伝えている。

 

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石川ルーツ交流館(社団法人石川県観光連盟提供)

  
 本吉湊にある藤塚神社の「おかえり祭り」は、3輪の台車(山車)が神輿を先導し町内を巡行する。13台の台車は美川仏壇の技術で作られ、北前船で繁栄した頃から継承されている。美川仏壇はかつて北前船で諸国へ運ばれていたが、いずれも日本遺産構成文化財である。
この本吉湊は、地元では「加賀の本吉、銀(かね)の出所」と唄われ、北前船がもたらす豊かな経済力で加賀藩に大きく貢献していた。

 

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おかえり祭り (社団法人石川県観光連盟提供)

 手取川左岸の湊地区(かつての能美郡湊村)には、北前船で活躍した熊田源太郎が私設図書館として設立した「呉竹文庫」がある。その所蔵資料は日本遺産構成文化財であり、一部を公開している。



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呉竹文庫(社団法人石川県観光連盟提供)

豊富に残る日本遺産構成文化財をめぐるバスツアーが次々企画され、地元でも北前船に関心が高まってきたと語っている。