『北前船浪漫紀行』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」をFBとブログで発信しています

「北前船寄港地・船主集落の旅」第9回 尾道市

第9回 尾道市
はじめに、三つの日本遺産認定に関わった尾道市の西井亨学芸員の話から紹介する。
f:id:chopini:20210720095341p:plain
NPO法人工房尾道帆布」提供

尾道水道」と呼ばれる内陸と向島に挟まれた川のような海域は、幅200メートル、長さ2キロメートルに及ぶ。この海域は、潮の流れが穏やかだったことから、850年前の平安時代から、荘園備後大田庄の年貢積み出し港として多くの廻船で賑わっていた。

傾斜地に寺や家々が建てられ坂道と路地で入り組んだ町並みは、まさに「箱庭的都市」で、情緒ある尾道の景色や文化を作り出している。
一つ目の日本遺産は、「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」のストーリーで、2015年に始まった日本遺産の制度で最初に認定された。 f:id:chopini:20210720075712p:plain
浄土寺 日本遺産構成文化財(2015年9月)

小高い山から海が見える浄土寺聖徳太子創建と伝えられ、14世紀再建の本堂と多宝塔は国宝である。(ここには北前船の絵馬があるが、寺に絵馬があるのは珍しい)
二つ目の日本遺産は、「日本最大の海賊の本拠地:芸予諸島よみがえる村上海賊」がストーリーで、海流が激しい芸予諸島周辺の水先案内人・村上海賊は豊臣時代まで通行料を得、海の関所としての役割を担った。(古くは「海賊衆」といわれ「水軍」は新しい言葉)

三つ目の日本遺産は2018年「北前船寄港地・船主集落」で、日本遺産に追加認定された。
17世紀後半、西廻り航路が開かれると北前船尾道港に寄港するようになり、元禄年間からは継続的に港が埋め立てられた。


この住吉浜埋立て築港に貢献したのが広島藩士平山角左衛門で、その功績を称え、尾道市役所近くの住吉神社にたくさんの奉納物がある。f:id:chopini:20210720080629p:plain
 住吉神社の奉納物 日本遺産構成文化財 (2019年2月)
この神社の玉垣には各地の船主の名が刻まれている。地元の多くの豪商達が活躍し、その財で寺の再建や建立・整備されている。町並みは数多く残り、国宝や重要文化財の建物や民家が混在している。


 名産のイグサ・綿花の肥料に、北海道の鰊カスが使われ、昆布の消費量も尾道は多い。  
 尾道花崗岩の石細工「玉乗り狛犬」が小樽の水天宮に残されているほか、尾道の石工集団の一人、寄井彌七の建てた小林利兵衛願主の石段も残っている。
米を加工した「酢」や、船板などの防腐剤として使われた「柿渋」は、徳利瓶に入れ北海道にも運ばれていた。
西井さんは、各地に残されている徳利瓶や狛犬を調査している。地元では「尾道の茶園文化と食文化」を企画し、日本遺産を生かすガイド養成にも取り組んでいる。
茶園文化とは北前船で名を成した豪商が催したサロンのようなもので、有名な歌人や学者を招き俳句なども詠まれた。それらが橋本家に残されているという。
 また、坂井市三国の北前船寄港地フォーラムの「全国北前船研究セミナー」でプレゼンされている他、ブラタモリにも出演し尾道の町並みと寺院の歴史を案内している。 f:id:chopini:20210720075624p:plain
北前船寄港地フォーラムIN尾道」(2018年11月)

尾道市では2018年秋、開港850年プレイベントと、「北前船寄港地フォーラムin尾道」を開催している。
 
 日本遺産制度の仕組みと、尾道北前船について西井さんに伺いたいとアポをとり尾道市役所を尋ねたのは、この㎙番組のインタビューの6年前のことだった。
 この日、赤穂市北前船を広めるにはどうしたらいいかもきいた。「全国の寄港地を巡り、それを書籍にすればいい」の話から、寄港地に残る坂越の北前船の足跡を探し訪ねながら、多くの方々から話を聞き、宮本常一の『私の日本地図』をイメージしたシリーズを企画して、不十分ながら冊子にした。




次は、「NPO法人工房尾道帆布」会長の木織雅子さんは、60歳をすぎてこの工房を立ち上げている。
70歳直前に尾道市商店街連合会の会長を務められている。

写真提供「NPO法人工房尾道帆布
f:id:chopini:20210720080014p:plain
会長の木織雅子さん

尾道北前船で栄え海上交通の栄えていたことから、帆布が盛んに織られ、戦前・戦中はその生産も多く、70年前には尾道市内だけでも帆布工場が10社ほどあった。しかし、安くて軽い合成繊維に市場を奪われ、今では工場も市内で一箇所、全国でみても数えるほどに衰退している。
f:id:chopini:20210720080112p:plain 
1999年、木織さんら5人の女性仲間で尾道の帆布工場を見学したのがNPO法人を設立するきっかけ。
 尾道帆船のロゴで女性だけで設立し、その理念は、「アウトドアグッズが駄目ならインドアグッズにするのはどうだろう?」を基に、縫製の技術がある人に協力をお願いしたという。
f:id:chopini:20210720080150p:plain
こうして 船の帆布の布を利用したバッグや小物の工房&ショップで鞄等の土産物等の製品をつくったのが始まりで、かつて尾道の主要な産業だった「帆布」を違う形でアピールすることになる。
f:id:chopini:20210720080215p:plain
  柿渋を使った商品

傘、テント等数多く利用でき、店内には帆布の販売し織機を展示した資料室があり、尾道北前船の積み荷だった柿渋を使った商品も紹介している。
f:id:chopini:20210720080407p:plain
筆者と右の木織さん
木織さんは、工房尾道帆布FBでコメントをしている。
『昨年、日本遺産に認定の際に行われた「北前船寄港地フォーラム」にてお会いしていた矢竹様が本日視察でご来店くださいました!フォーラムの時に拝見した半被を今日も着てくださっていました。再び会えて嬉しかったので、記念撮影をさせていただきました。ぜひまたご来店ください。』

木織さんのインタビューの中で、室蘭の「みなとまちづくり女性ネットワーク室蘭」代表・立野了子さんの(2019年1月放送)の話があった。
 尾道と同様、港の女性の活躍は目覚ましく、歴史を今の形にしていくバイタリティーを感じた。