『北前船浪漫紀行』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」をFBとブログで発信しています

『名城と北前船を巡る旅』第59回福岡城と古伊万里

第59回福岡城古伊万里

福岡県芦屋町山鹿の「芦屋町歴史の里」資料館 学芸員・山田克樹さんのインタビューから紹介します。


芦屋町は、博多と小倉の中間にあり遠賀川の河口に位置し東に山鹿、西に芦屋がある。
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芦屋町は一番北(白地図使用)〉



芦屋町歴史の里」は芦屋町山鹿あり、考古資料、商業交易関係品、漁具、芸能などの収集品約6000点が収蔵されている。

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 〈提供 国交省遠賀川河川事務所〉

 源平合戦までは、山鹿城を拠点に山鹿兵藤次秀遠が芦屋津を支配し、筑前最大の勢力の水軍をもち海運からが主な収入源だった。
平家方についた山鹿兵藤次秀遠は、裏切ることなく最後まで安徳天皇を守った。

山鹿氏は壇ノ浦敗戦後、熊野に落ち延びその17代後が忠臣蔵に影響を与えた山鹿素行だった。


徳川時代黒田長政福岡城(日本100名城)に入ると、芦屋港は福岡藩の重要港となった。長政は当時最強の船、「安宅船」を作らせ「伊勢丸」と名付け芦屋港に置いた。

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安宅船「伊勢丸」(模型)提供;芦屋町歴史里資料館〉


 芦屋の廻船は、櫨蝋、栗、卵、綿などの遠賀川筋の特産品を伊万里へ運び、元禄(1700年前後)のころから古伊万里仕入れ、交易に出かけた記録があり下関とも肩を並べるほどの港町だったという。

 黒田藩の御用商人・伊藤小左衛門は密貿易の罪にとわれたが、この小左衛門に仕えていた商人が、輸出が減っていた古伊万里の国内販売ルートを開発し古伊万里を全国に運ぶようになるが、これが旅行(たびゆき)商人の元と考えられている。

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〈「旅行商人」関連資料 提供;芦屋町歴史里資料館)

最も盛んだったのは文政・天保年間(1830年前後)で、旅行商人は大坂、江戸、山陰、北陸から遠くは蝦夷松前まで古伊万里の交易に出掛けていた。

当時、芦屋・山鹿は裕福な商屋がたくさん軒を連ね、最盛期には古伊万里の3分の1を旅行商人が扱っていた。

弘化3年(1846)の記録に、旅行商人たちは「陶器組仲間」を作って結束し芦屋は関屋・掛屋など38人、山鹿は吉野屋・蛭子屋など27人の名がある。

 伊万里と芦屋の商人の深いつながりから、岡湊神社に大きな石灯篭の奉納を連名でしているほか、神武社にもある。

 松前学芸員は、松前には芦屋商人の墓が残されていた話をしている。


旅行商人は、「八朔の文化」も運んでいる。これは、旧暦8月1日の節句の一つで子供の誕生や健やかな成長を祝うもので、瀬戸内海の港町,福山市鞆の浦尾道、丸亀などにも伝わっている。

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〈写真は、山田さんが文化庁の広報誌で紹介したもの〉

芦屋から津軽にわたった長寿の女性の物語は、江戸でベストセラーになる。これが北九州市貴船神社に伝わる「ほら貝まつり」で、「芦屋町歴史の里」資料館で小冊子「筑前芦屋の民話」で見ることができる。
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 山鹿素行平戸城や、赤穂城築城に関わった人物だった事から芦屋町山鹿素行展に、このFM番組で赤穂の日本遺産を紹介した赤穂市歴史博物館の木曽こころ学芸員が研究の為、この企画展にいっている。木曽さんに聞くと、赤穂歴史博物館でも山鹿素行の企画展をしているとのことだった。


古伊万里については私の著書『北前船浪漫紀行第1部』で、佐賀県立九州陶磁文化館・館長鈴田由紀夫氏を紹介したが第9回のブログを下記のURLで紹介する。


「すすめ!北前船」第9回(古伊万里) - 『北前船浪漫紀行』


今回は2020年に開催された40周年記念特別企画展について、鈴田館長と德永貞紹副館長のインタビューです。

 特別展は、新潟市の故柴澤一仁氏(2018年死去)が、40年にわたって越後・佐渡庄内地域古伊万里を蒐集したコレクションで、1992年柴澤氏から「400年前の古伊万里を調べてほしい」とこの陶磁文化館に依頼がありその縁で、柴澤氏の意思で2019年に生前寄贈されたことによるものである。

 

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德永貞紹副館長は、『図録』から第3章「北前船で運ばれた焼き物の歴史」を紹介している。
 

 日本人好みの赤をたくさん使った古伊万里は、ハレの日に使われることが多いため良質な状態のまま残されているという。

 また以前のブログでも、天橋立古伊万里の企画展を紹介しており、この時に出品された日吉神社のお神酒徳利と同時代のものが展示されており、北前船で伝わった古伊万里の時代の動きが見えるという。

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天保年間には、伊万里湊から福岡芦屋の旅行商人によって新潟に1年間に6000俵が運ばれ、新潟商人もまた伊万里湊に買い付けにきておりと顔なじみになり、その記録が伊万里の神社に残されている。

 幕末外国船の入港が認められていた箱館湊では、古伊万里の徳利に酒や醬油を入れて売られていたことから、土産に持ち帰ったロシアで一輪挿しとして使われていた記録もあるという。

 
 新潟港が明治元年(1869)に開港するとロシアの軍艦が下見にきており、名産品に陶磁器と魚の記録がある。これより10年前の安政6年(1859)「新潟湊之真景」には、多くの北前船や外国船(3隻)が描かれていた。

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一番遠くに見えるがロシア船
写真提供(新発田歴史図書 館鶴巻康志さん)