「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

『名城巡りと北前船の旅』第60回宇和島城・松山城

『名城と北前船を巡る旅』第60回宇和島城松山城

愛媛県歴史文化博物館学芸課長・ 井上 淳さんは、宇和島城松山城の城郭研究等近世史が専門で、それぞれの城下の廻船について話していただいた。
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白地図使用

 関ケ原の戦いの後、藤堂高虎宇和島城日本100名城)を築城した。その後、高虎は今治に入り今治城も築城する。
 2代目城主、伊達秀宗伊達政宗の長男)が1614年に入城し伊達家が幕末まで在封した。
 宇和島藩の年貢積み出港は、川之石浦港(現八幡浜市)と、その枝浦である雨井浦があり、川之石浦港については宇和島藩『大成郡録』に詳しい記録がある。
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 宇和島城下(出典 愛媛県立博物館デジタルアーカイブ

雨井浦の廻船問屋「布袋屋一族」について、赤穂市坂越の奥藤家の『下筋御客帳』と、竹原市安芸忠海の「浜胡屋」と「江戸屋」の『御客帳』の3つがある。

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宇和島城下の港(出典 愛媛県立博物館デジタルアーカイブ

 奥藤家の『下筋御客帳』は、1833年における取引、塩・木材・木綿等の問屋、仲売り商人、船主、船頭を取り上げたものである。

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下筋御客帳(出典『 坂越廻船と奥藤家』)
「下筋」とあるのは、そのほとんどが坂越より西のもので、その入船記録は909件あり、豊後349件、長門265件、伊予163件で、九州と瀬戸内が全体の78%近くを占める。この他日本海では、加賀・越後の記載がある。

安芸忠海の「浜胡屋」と「江戸屋」の『御客船帳』は、広島県竹原市北前船の日本遺産構成文化財で、それによると浜胡屋は5038艘、「江戸屋」は6693艘で、雨井浦の廻船は84艘とある。

 井上さんは、雨井の「布袋屋一族」の廻船の建造や売却に関わる資料を「布袋屋年代記」と名付け研究されている。
 瀬戸内海では北前船のような長距離をつなぐ交易とは別に、近距離、九州、瀬戸内海の物流を網の目状につなぐ交易は宇和島藩の港が中心だったと語る。

 最近の研究では、1万石の伊予小松藩の役人が安芸の倉橋島(現呉市)に出張して、藩の御座船の建造を管理した際の文書(日記)が読み解かれている。

続いて松山城日本100名城)の話となる。
秀吉に見出された加藤嘉明だったが、関ヶ原では東軍に参戦し家康から1602年伊予半分の20万石に倍増され、松山城の築城を開始。その後、松平定行が1635年入封し幕末まで16代が在封した。

松山の中心部、勝山山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構え、21棟は幕末の嘉永5年(1852)の建築で、三重天守は国指定重要文化財で、現存する全国12天守のうちの一つである。
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松山城下図屏風」
(出典 愛媛県立博物館デジタルアーカイブ
松山城下図屏風」は横幅6メートにもおよび、元禄の終わり頃の松山城下を鳥の目で見たかのように描かれている。武家屋敷・町人町・石手川等、松山の特徴がある。これらの絵図や絵巻130点をデジタル化し、HP上で高精細画像が確認できる。

この屏風から、松山城下の繁栄は瀬戸内海を舞台にした海運による経済発展によるところが大きいと語っている。
平成25年、この屏風の情報が博物館に寄せられたときは、学芸員生活最大の感激だったと井上さんはふりかえる。
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松山城城郭図  左下が三津町の港まで流れている川
(出典 愛媛県立博物館デジタルアーカイブ

松山城から北西約5km離れた三津町の港の話になる。
ここは、加藤嘉明の時代から船奉行が置かれ藩水軍の本拠地だった。
 文久4年(1861)の『諸国入船帳」』(謄写本)は、港湾管理を目的に、町方が船の帆の大きさに応じて銭を徴収するため作成したもの。
年間351艘が入港のうち3月・4月が一番多く40艘近い。松山の南、大洲藩領が45%等ここでも瀬戸内海沿岸、九州が中心だった。
 
松山城下は木綿の産地で伊予絣(日本3大かすりの一つ)の生産地だったことから、「古手仕入れ」「縞仕入れ」のための積み荷の他、生魚、海産物、米雑穀、建築用材など多くは、運搬用に整備された三津街道を通じて城下に運ばれていた。

愛媛県歴史文化博物館は県西方の西予市にあり、愛媛の歴史・民俗に関する資料を展示、年4回程の特別展・企画展を開催している。
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愛媛県歴史文化博物館(当館のHPより)

この館のすぐ近くの卯之町の町並みは、国の重要伝統的建造物群に指定されている。松山の道後温泉万葉集にも登場する古湯で、「道後温泉本館」(国指定重要文化財)の近くには、もう一つの日本100名城である湯築城(跡)がある。

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 酒田で2013年に発見された客船帳9冊の内、2冊を記載した著書『北前船 寄港地 酒田から全国帆船リスト』(工藤幸治発刊 矢竹考司企画)を発行した。
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 僅か2冊の客船帳に、宇和島等伊予からの酒田への入船記録が40隻近くあり、伊予も北前船が活躍していたと井上さんにお伝えした。