『名城巡りと北前船の旅』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の企画し紹介している

「名城巡りと北前船の旅」第66回水戸城(和算)

 第66回水戸城和算

 まず始めに、 水戸市教育委員会歴史文化財課 世界遺産係長・藤尾隆志氏の話から紹介する。

 水戸城日本100名城)は、鎌倉時代の創建で天守閣がなく土塁や空堀で構成されている。江戸期に水戸徳川家の藩庁になった。

 

復元された「大手門」(筆者)

薬医門が現存し、令和2年に「大手門」、令和3年に「二の丸角櫓」が復元された。
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復元された「二の丸角櫓」(写真筆者)

 2代藩主 徳川光圀水戸黄門)の『大日本史』と、9代藩主 徳川斉昭徳川慶喜の父)の「弘道館」は、日本遺産「近世日本の教育遺産群~学ぶ心・礼節の本源~」の構成文化財に認定されている。

 光圀が明暦3年(1657)に着手した『大日本史』は、明治39年(1906)に全397巻・目録5巻が完成している。
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大日本史編纂の地の碑 左手は水戸彰考館の門 

 光圀が開設した「水戸彰考館」は大日本史編纂所で、弘道館ができるまで藩校の役割をし、三つ目の構成文化財である。

 「水戸黄門」に登場する助さん=佐々介三郎、格さん=安積覚兵衛は、彰考館の学者だった。
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水戸駅前の黄門様・助さん・格さんと筆者

 「黄門」は、光圀の「権中納言」の中国風の呼び方で、光圀は、船を建造させ蝦夷地の調査を計画、家臣を石狩まで派遣し探検させている。

 弘道館は「文武不岐」など建学の精神を定め、儒学、歴史、歌道、音楽、数学(和算)、西洋医学、薬学、天文学など幅広い学問を修める今日の総合大学のような性格を有する教育施設として設けられた。

 偕楽園も、徳川斉昭が造ったもので、「一張一弛(いっちょういっし)」の考えから、学問や仕事の合間に家臣のみならず領民も楽しめる景勝の地として創設され、学問興隆の象徴として梅が植樹された。偕楽園日本三名園の一つであり、日本遺産構成文化財である。

 5つの構成文化財のうち、4つが光圀と斉昭によるものである。

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 足利市足利学校(幕府の学校)、備前市岡山藩閑谷学校)、日田市(咸宜園日本最大の私塾)の4市で世界遺産を目指している。

 

 弘道館では、江戸時代の和算を使ったイベントを催していた。

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弘道館で展示している和算の教科書の説明 筆者 )

 江戸初期、大坂・京都の商人の複雑な計算には和算は必要なものだった。1627年吉田光由の『塵劫記』(じんこうき)が出版されると、各地で寺子屋の教材に
使われた。明治に入ってもベストセラ―だったが、現在も、岩波書店から版を重ねて出版されている。

 和算は、田畑の面積、土木工事、暦を決める暦法、流通、船建造、航海術に必須で、北前船の設計に始まり、交易の決済の場面でも根付いていたに違いない。

 大坂堂島等の先物取引が世界に先駆け開始されたのは、和算の普及で計算能力が高かったことが伺われる。

 

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何度も改定された塵劫記(出典 国会図書館デジタルアーカイブ

 

 次は、神戸市在住の梶川雄二氏に、和算について話してもらった。梶川氏は、和算研究家で毎年全国和算研究大会に参加されている他、全国の算額絵馬を調べる旅をしている。

 忠臣蔵に出てくる梶川与惣兵衛の10代目で、2018年の赤穂義士祭で梶川役で登壇している。 

 NHKの「忠臣蔵の恋 」で描かれた村松三太夫の祖父 村松茂清(1608〜1695)は、円周率を小数点以下7桁までの正しい値を日本で最初(1663年)に発見し、「算俎」を出版している。(塵劫記は再版されたが円周率3.14までだった)

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(出典 国会図書館デジタルアーカイブ

 

 その後、和算第一人者の関 孝和が円周率下12桁を算出する等、中国から伝わった数学は、鎖国下の日本で独自に発達し各藩から数多くの和算家を排出している。

 津和野藩の堀田仁助が和算を使い天球儀を制作した話や、江差のニシン蕎麦の元祖、横山家の蔵に所蔵される『算法新書』(沈没した帆船で発見されたもの)についても話している。

 行列式は、日本が世界に先駆けて関孝和があみ出していたが、世界の学会では文字の問題から、まだ認めてもらえないと語っている。

 

 江戸から明治時代にかけ、船絵馬は北前船の寄港地の神社に盛んに奉納されていた。

 また円周率等の和算の問題を絵馬にして神社に奉納、この解答を絵馬にして奉納する日本独特の算額文化があった。自らの知識の高さを誇示し、全国の神社にたくさん算額が残っている。

写真の説明はありません。

 渋谷駅近くの金剛八宮の算額絵馬(筆者)

 

 

 最後は、射水市新湊博物館・学芸員 松山充宏氏に和算について話して頂いた。

射水市新湊博物館「利用・交通案内」

射水市新湊博物館)

 江戸時代後期、富山・石川両県の正確な地図を作った富山県射水の石黒信由(1760〜1836)は、和算を高度に発展させた関孝和(1642〜1708)の流れを汲む弟子にあたる。

 信由が陸奥国一関(岩手県)の和算家と算題をやり取りした記録があり、江戸後期、和算を通じた交流は各地に広がっていた

 

冨山】祈求算數精進的神社:射水放生津八幡宮- 東京タイプ

(石黒信由の算額絵馬 射水市放生津八幡宮提供)

 石黒信吉の和算から生まれた航海術書『算法 渡海標的』が、1836年に京都で出版された。この本は、天文学を基本にしたもので、北前船等の廻船には、必ず積まれていた事から、当時、廻船問屋のベストセラーになっていた。

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  (射水市新湊博物館蔵)

 この書は高度な和算を使い、船の上から星を測る方法が示され、安全な航海に必要な技術をまとめたものである。

 漂流して帰港出来なくなる事があるので、船の位置を知るために北極星の高度を測る方法を示したものであったため、 船乗りもこぞって買っていたという。  

 石黒信由とその子孫が作成した、算学や航海術に関する著書類や記録類、測量
器具などの関係資料をこの博物館で展示している。

 江戸時代の学者の関係遺品として現存する全国の資料の中でも、極めて希少なものと評価され、すべて国の重要文化財に指定されている。

 館内では、江戸時代の測量体験ほか様々な企画が用意され、大人から子供まで楽しめる。