16回 盆踊り
盆踊りについて、兵庫県赤穂市・岡山県笠岡市・愛媛県大洲市の方に明楽みゆき氏のラジオ番組で話して頂いた。
最初は、坂越の盆踊り保存会の篠原氏会長の話から紹介する。
篠原氏は、愛媛県青島や岡山県白石島にも行きその違いを研究している。
愛媛県の無形民俗文化財の「青島の盆踊り」は、坂越の漁民が伝えたもので、現在の「坂越の盆踊り」に似ていない。これに対して、岡山県の「白石踊り」は、坂越の盆踊りの歌詞にとても似ているという。
篠原氏提供
笠をかぶって踊るのが白石踊りだとその違いも篠原氏は指摘している。
坂越湾の生島(日本遺産構成文化材)の鳥居の礎石に白石島(石の島で日本遺産)の文字がある。
日本遺産構成文化財の生島と白石島の石の鳥居 (坂越の船祭りの日に船から撮影)
これは、台風の時に鳥居の礎石の周辺の石が流され、白石島の文字が浮かび上がってわかったと元坂越歴史研究会会長の故大西孜氏の話も紹介している。
篠原氏が2007年「坂越の盆踊り」を赤穂市の文化財に申請した時の資料が、坂越まち並館にある。
この中の『御役用諸事控』(1803)と『万覚書』(積善社・本町文書(1808)には「17世紀から18世紀に坂越浦は人が行き交う港町として賑わい、航路拡大に伴い情報や文化も集まり、伝承する踊りもそんな背景がある」と書かれていた。
篠原氏と坂越の盆踊り保存会の方々(2019年坂越の大道で)
現在の「坂越の盆踊り」は廻船で賑わった時代から続いているのに対し、青島の盆踊りは、それ以前に坂越の漁民が移住し伝えたものだ
この放送の後、瀬戸内海の盆踊りの伝播を研究している坂本要氏(筑波学院大学名誉教授)と坂越公民館で篠原氏と情報交換をした。
坂本氏は「坂越の盆踊り」「白石踊り」「青島の盆踊り」が、宮崎県延岡市の「新ばんば踊り」にどのように影響し「兵庫節」ともいわれている背景を調査されていた。
延岡藩は大武港、東海港から参勤交代の行きかえり、坂越港を利用していた事、赤穂から入浜式塩田が延岡に伝わっていた事に関係しているかも知れないと坂本氏に後日伝えた。
次は、「坂越の盆踊り」と歌詞が似ていると指摘があった白石踊りについて、岡山県笠岡市の白石踊り会・理事 天野正氏に話をしていただいた。
天野氏は、ケンペルの『江戸参府旅行日記』(1691)に、「白石港は比類無きほどの船の停泊地で、他に12隻の停泊船があり、われわれと同じように船の横揺れを防ぐために、帆柱を倒していた」と語っている。
ケンペルはこの後、坂越港に寄港し江戸に参府している。この事から瀬戸内海のルートに白石島~坂越港が知られ、白石島から石や「白石踊り」が坂越に伝播したと考えらる。
ウキランドより転載
白石踊りの起源は、源平合戦での戦死者を慰霊したといわれ、男踊り、笠踊り、奴踊り、鉄砲踊り、真影踊り、女踊り、大師踊り、阿亀踊り、娘踊り、扇踊り等13種が残り、異なる振り付けを一つの音頭に合わせて同時に踊るという、他にあまり類例のないのが特徴だという。
白石踊り 天野氏提供
昭和51年、国指定無形民俗文化財に登録され、白石島の伝統行事として毎年8月のお盆の期間、公民館前広場で演じられている。白石島の人口は2001年の750人余りから、2015年には450人となり少子高齢化人口減少の中でも、伝統の継承に学校の協力等力を入れていると話していた。
坂越の漁民が伝えた愛媛県大洲市の「青島の盆踊り」について、大洲市で地域史の研究をしている瀧野起一氏に話して頂いた。
青島は大洲市長浜沖13キロメートルにある。寛永16年(1639)、大洲藩2代目藩主加藤泰興に願いでて、坂越から16家族が無人島だった青島に移住し元禄元年(1688)坂越から寺を移し「真宗寺」としている。
泰興は、赤穂で出家した盤珪禅師を招き如法寺(重要文化財)を開創、加藤家の菩提寺としている。盤珪は海路で大洲へ入ったが、その海路上に青島があり、赤穂と縁ある青島に泰興が島へ渡ることを勧めたという。泰興から苗字帯刀が許され故郷の赤穂にちなみ赤城姓を名乗っている。
青島の盆踊りは、毎年8月14・15日にあり、14日は氏神(坂越神社の分身)の前で赤穂義士の装束で、その年に亡くなった人の霊を慰める「亡者踊り」が演じられていた。15日は魚供養の「大漁踊り」(賤ケ岳七本槍など)が演じられていたという。
一時900人近くが住み小中学校もあったが、今は住民5人に、猫100匹以上が住む島になり、盆踊りも途絶えている。2010年頃テレビで島の様子が紹介されると、海外も含め多くの猫ファンが訪れ一躍脚光を浴びたが、人口激減で青島の盆踊りは存続出来なくなったと瀧野さんは語っていた。
最後は、赤穂市教育委員会で文化財に30年間にわたり取り組んだ宮崎素一氏。
宮崎氏は「坂越の盆踊り」を赤穂市の文化財登録に尽力した他、2012年、64年ぶりに「坂越の船だんじり」と「鳥井町の曳とんど」を復活させている。
船だんじりは国重要無形民俗文化財の祭礼行事「坂越の船祭り」(日本遺産構成文化財)で披露されたが、復活させた日、地元の90歳のお年寄りの感動を紹介している。
「坂越の船だんじり」 (坂越まち並み館展示より)
「鳥井町の曳とんど」は、小正月に大きく組んだやぐらを台車に乗せ、音頭に合わせて賑やかに綱を引き、海岸まで運び、点火するという風習である。
鳥井町は、山に挟まれた坂道沿いに家屋が軒を並べ、ほとんど平地がなかったので生まれたものだという。
船乗りを相手に三味線や小唄を披露する芸達者が多く暮らし芸者町と呼ばれていた。赤穂民報の報道では明和・安永年間(1764~80)に始まったとある。
引きとんど(坂越まち並み館展示)
この「鳥井町の曳きとんどの唄を小学生の時、音楽の先生に頼まれて吹き込んだテープを使い、歌った事がある」と地元の演歌歌手・坂越加奈氏のコメントがある。