徳島県立鳴門市撫養湊
小豆島で狛犬研究家から紹介されたのが、鳴門市で北前船の研究者
林氏は2024年秋『東西海運の結節点 鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ』150ページを出版している。この書は2024年12月朝日新聞で紹介され、北前船を学術研究者で知られる慶応大学の中西聡教授がコメントを寄せていた。環
この出版に至るこれまでの経緯から紹介する。
20年程前、林氏は高校の社会科の授業の一環として、「鳴門に学ぶ地域学」と題し撫養街道を歩く特別体験授業を実施していた。一周4キロほどのルートに「岡崎海岸から眺める鳴門海峡」「妙見山の大鳥居」「市杵島姫神社」があった。この地域学の輪は、鳴門工業高校・鳴門渦潮高校・鳴門高校・鳴門市第2中学校にまで広がった。これを教材化し大麻町商工会が撫養街道MAP発行に至り、生徒もガイドをするようになっていた。
その一方で、「にし阿波の伝統農業」の世界農業遺産化の原案作成と提言を行っていた。この啓蒙活動は実を結び、佐渡・能登に続き2018年、「にし阿波の傾斜地農耕システム」として、国連食糧農業機関から、世界農業遺産登録に認定されるに至っていた。これは最大35度の傾斜地で、畑を耕作する独特な農法を紹介したものである。この関係から米国とメキシコの2大学から環境人類学の博士号を取得している。
林氏は、徳島活性化の活動を展開してきたが、撫養街道を歩くと昔ながらの情緒ある古民家が次々と取り壊され、かつての撫養街道の風景が失われつつあった。この流れをどう食い止められるかとその方策を探っていた。
浮かんできたのが江戸後期から明治にかけ日本を席巻した、ジャパンブルーと呼ばれた阿波藍は、鳴門の撫養港から各地に運ばれていたと仮説をたて調査を始めた。これまでは撫養街道の歴史・文化は、街道という陸路に注目し、海・港の観点から考えてこなかった。鳴門は「みなと文化」にあふれ、江戸と大坂を結んだ南海路に加え、西廻り航路の結節地で活躍した地だったと気づき港から考えた。明治に入るまで淡路島は徳島藩領で、淡路島と鳴門には渦潮に象徴される世界三大潮流のひとつである鳴門海峡があったが、淡路島と鳴門を行き来する必要があった。
この海域は、航行がの難所だったが、徳島藩は東に岡崎番所、西の北前船が播磨灘から入ってくる港には北泊番所を置き、監視と安全航行船の誘導をしていた。
徳島藩のこうした事情から、撫養で多くの廻船問屋が全国で活躍できたと考えられる。撫養港では三木家・天野屋等多くの廻船問屋が活躍していた。最も活躍した山西家については、森本幾子氏の『幕末・明治期の廻船経営と地域市場―阿波国撫養山西家の経営と地域―』で詳しく紹介している。
山西家は小樽・箱館・松前の商人とも取引があり、藍玉の肥料は鰊粕が阿波藍に大きく貢献していた。加えて、塩・足袋・白砂糖(和三盆)の特産品も撫養湊から積み出し、沢山の人でにぎわう港だったのがわかったという。
林氏は、北前船の寄港地の山形県酒田市から発刊された『北前船寄港地酒田から全国帆船リスト』(工藤幸治著)と『北前船と酒田・北前航路と寄港地』(杉原丈夫著)からも調べている。鳴門からの酒田への入船記録が201隻と大坂の次に多かったことで追加認定への自信が持てた。このうち工藤幸治氏の書は2022年、私が企画制作したもので現在もアマゾンで販売されている。
撫養に残る北前船に関わる文化財は、山西家のものが最も多く、東京の国文学研究資料館や徳島大学等に寄贈された。初代山西庄吾郎は、祭田塩の産地である斉田村で育ち、塩問屋を経営し主に江戸に運んでいた。江戸では千葉の醤油醸造に赤穂の差塩と並び重要な商品になっていた。塩問屋の成功で、特権商人の地位を獲得し前述の徳島藩の専売品も全国規模の交易を展開していた。交易で得た莫大な富を撫養の人々に還元し、地元黒崎の金光山(標高150メートル)山頂に、真言宗「仙龍寺」を建立し海難者の供養をしている。
仙龍寺の天井には200枚を超える色とりどりの花鳥図が奉納され、その3分の1が全国各地の、山西家の取引先で加賀橋立の西出栄裕丸庄八等北陸が最も多いい。この他の文化財で他の地域にないものに、備前焼狛犬と大谷焼がある。北前船と狛犬は、尾道市、新温泉町では構成文化財に認定されているが、備前焼狛犬を北前船から紹介した地域はない。鳴門の備前焼狛犬は、松前や越前右近家とも取引があった肥料問屋の近藤利兵衛が再興した妙見神社の他、撫養の金毘羅神社にもある。
大谷焼は、藍を発酵させる大きな「かめ」に使われた。藍を育てる肥料の鰊粕を蝦夷地で仕入れていたのが撫養の北前船で、共に徳島の藍の発展に重要な
林氏はこの出版の後、鳴門市で市民講座や町歩きを通じて、鳴門の北前船の周知に努めている。参加者からは、鳴門が廻船で活発だったことは知っていたが、北前船の活躍まで知らなかったと言われ講演の手ごたえを感じたという。
注目すべき点は、小学生に撫養港の北前船の活躍を知ってもらおうと、撫養小学校で教員に向けた講演会を開催し、教育の現場から普及活動をしている事である。2025年11月松本市で開催予定の北前船寄港地フォーラムで鳴門が紹介される事に期待している。