すすめ北前船

北海道発のFM放送「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」を瀬戸内海からFBとブログで発信しています

「すすめ北前船」第22回(北前船寄港地フォーラム2)

「すすめ北前船」第22回(北前船寄港地フォーラム2)

 

今回の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の特別コーナ『進め!北前船』は、(第24回北前船寄港地フォーラムin坂井市三国湊)で7月27日放送のコメントを再構成したものです。

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 前半は、北前船寄港地フォーラム企画の全国北前船研究交流セミナーを私が紹介しました。

 このセミナーは、日本遺産に登録された38市町の各ブロックから北前船の研究をされている方々の発表の場になりました。

 北海道ブロックの小樽商科大の高野宏康学術研究員は、北前船で北海道まで運ばれた若狭瓦を発見し、30センチ程の若狭瓦が南越前町に贈呈していました。
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この場面は翌朝NHKが報道されています。

 中国ブロックの尾道市の西井亨学芸員は、全国の寄港地に残されている「こま犬」等の石の石造物から尾道の足跡を探している話がありました。

 
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この話は、次のパネルディスカッションに繋がり、日本遺産審議委員の丁野明氏のコーディネーターで進行しました。
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 地元では、忘れられていた事が全国の寄港地には残されている例があり、これをデータベース化の提案をしたのが、作家で北前船研究者の加藤貞仁さんでした。

 加藤さんは、延べ80日かけ全国の北前船寄港地を写真家(鐙啓記氏)と納沙布岬等を取材し出版した経験からの提案だと感じました。

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 その後のレセプションで、加藤さんの『北前船 寄港地と交易の物語』で、坂越の北前船を紹介いて頂いていたので話が弾みました。
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 翌日のフォーラムの合間に、高野さんと前日のパネラー土屋周三さんのデータベースの具体的な話を北前コーヒーをみながら聴く事ができました。
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後半の『進め!北前船』のゲストは、
2日目のパネラーとして活発に発言をしていた坂井市観光連盟の大和久米登会長でした。
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(大連でのレセプションで)
大和会長は、このfm番組が始まった去年5月に出演していた事を大連の北前船寄港地フォーラムの時に知りました。

   大和さん経営の大和甘林堂は、300年近く前「大和丈助」が三国湊に出入り盛んな千石船(北前船)で持ち込まれた珍品砂糖にその原点があったとHPにありました。

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 三国湊は、北前船の時代以前から近江商人が活躍していた港町でその繁栄は、明治に入っても続き、北陸本線の鉄道開通の障害になったと。これで時間が止まりむかしの町並みが残ったと紹介しています。

  20年前、三国湊の歴史や文化遺産を生かした観光への取り組みでは、一時的な賑わいだったと。
 この危機感から三国湊の歴史を生かした「まち起こし」で、坂井市、商工会議所、観光連盟が三位一体となったのがわかりました。
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長岡駅での大和さんと坂井市の方々)

 大和さんの三国湊への想いが、多くの関係機関や企業等の協力を得られたと感じました。
 これが国土大臣賞、港町認定、日本遺産認定、北前船寄港地フォーラム開催へとつながりを熱く語っていました。

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 今後は、20万人がくる三国祭や三国節そして日本遺産認定をベースにて、全国に発信して行きたいと語っていました。
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 二日間のレセプションの最後で江差の木村香澄さんが、ソーラン節と江差追分を披露から、江差北前船寄港地フォーラムを懐かしく思いました。

 次回の「瀬戸内坂越の北前交流記26回江差ー奈良」は、全国北前船研究会発行の、『北前船にかかる論考考察集』の寄稿文から江差の横山家(北海道指定有形民俗文化財)を紹介します。

  協力して頂いたのは、奈良女子大学名誉教授で全国北前船研究会顧問の横山弘氏です。
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このFMの放送は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されています。その後、ラジオ七尾を皮切りに北前船寄港地13局で放送されています。
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「すすめ北前船」第21回(秋田2)

「すすめ北前船」第21回(秋田2)
 
今回の「チエンバリスト明楽みゆき」の特別コーナ『進め!北前船』は、秋田から
7月6日と13日放送のコメントを再構成したものです。

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ゲストは、秋田市の観光案内人の佐藤節子さんです
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 秋田市土崎では、今年も7月20日と21日が土崎神明社例祭がありました。
この祭りを前に、地元では「カスベ祭り」とも呼ばれ、祭りのおもてなしにカスベの魚を使った「カスベの煮付け」を紹介しています。  
 
 祭りのシンボル「見返し人形」を上に飾った曳山の山車を、「ジョヤサ」の掛け声を出しながら土崎町を威勢よく練り歩く話があります。

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 見返し人形とは、江戸期、経済力があった商人は侍より身分が低かった事から、反骨精神から政治や経済から世相を風刺したのが「見返し人形」だと語っています。
 
 この「掛け声」は、ニシン船を引く時に使うものとだいい、音頭あげと呼ばれ北前船江差から伝わったものでした。
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 また囃子は、熊本の「牛深ハイヤ節」から伝わったとの事。天草市のHPには、「牛深ハイヤ節」を以下のように紹介しています。
 牛深港は、天然の良港で諸国の多くの帆船が入港しており、風待ちの間の娯楽として生まれたとありました。
 
 この牛深ハイヤ節は、北前船等を通じて全国の港に伝播し、それが秋田土崎に残ったものでした。
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 今では「牛深ハイヤ節全国大会」が開催され、北前船が伝えた文化が、掛け声と共に、各地に残っていたのがよくわかりました。

 次に秋田県北部にある内陸の「阿仁銅山」は、享保元年(1716)に日本一の銅の生産高になりこの銅が、能代港から長崎経由でオランダに輸出された話もあります。

 調べてみると「阿仁銅山」ついてBS番組「北前船の海道をいく」特別番組第2回の「青森、秋田から世界へ 北の交易回廊を辿る」で以下のように紹介されていました。
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 「阿仁銅山」の銅は、阿仁川を下り能代港から北前船で大阪まで運ばれ精錬された後、長崎経由でオランダに輸出されます。

 当時オランダ商館の70%ー80%近くが日本の銅で占められ、この銅の扱いでオランダは世界の覇権を争ったと。
 その結果、国際通貨として流通していた銅の1/3から半数が日本からだった事から、経済学者アダム・スミスは、「国富論」(1776刊)で、日本の銅の警戒していたとありました。

 世界のコインにもなった「阿仁の銅」に、アダム.スミスは脅威を感じたのしょう。
 それを運んだ北前船とオランダ船もまた、世界の金融から、日本が脅威を与えていたのに驚きました。    

 坂井市北前船寄港地フオーラムの合間に大阪の方が、大阪の「銅の精錬」で日本遺産を考えていると話がありました。それならキーワードに「阿仁の銅」とコインすればとこのFM放送のコメントをお伝えしました。

 今回のゲスト佐藤節子さんは、とても親切丁寧なガイドだと、紹介した奈良のガイドも言っていました。
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この祭りの準備をしていた6月、わざわざ神明社での祭りの練習している所を案内してくれました。

 この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の後半で放送されています。
その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

すすめ北前船」第20回(塩飽廻船第1回)  

すすめ北前船」第20回(塩飽廻船第1回)
 今回は、塩飽の廻船について塩飽出身で長崎県諫早市在住の吉田幸男さんのインタビューから紹介します

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  吉田さんは、『塩飽史』を出版され咸臨丸子孫の会の会員でもあります。
 
  放送は、2018年3月30日から4月27日まで5回連続であり塩飽を熱く語っています。
 この5回の放送を歴史にそって構成して紹介します。次回は9月を予定しています。

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 百姓身分でありながら領地を持った、別名大阪船手組と呼ばれた塩飽の特殊性を吉田さんが紐解いています。

 遣唐使の時代から船で活躍していたのが江戸期の文献にあるといい、源平の合戦の屋島の戦いでも活躍した塩飽。
この時、源氏についたのは村上水軍で、塩飽は対岸の児島と共に源氏と戦っています。

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 対岸にある倉敷市「むかし下津井廻船問屋」の会長だった矢吹勝利さんが、児島は平家びいきと言っていたのがよくわかりまた。

 平家滅亡で瀬戸内海は、信長の時代まで村上水軍の独断場で大阪本願寺側だった村上水軍に信長は手を焼いていました。 
 海を取れなけば天下は取れなかった為、信長は世界で初めての巨大鉄船を作りました。
 世界でも類を見ない巨大鉄船で、やっと村上水軍に勝利しています。
 このストリーが「その時歴史は動いた」の動画がユーチューブにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=hHprXUWghds

 この時、塩飽水軍は、信長に味方した事からその後朱印状をもらい、秀吉、秀次の朱印状は大切に保管し守っていたと語っています。
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 秀吉の小田原城攻めでは、大量の米等の食料を船で運ぶ必要があったと。
 遠州灘を無事通過し小田原に予定の日までに運べたのは100隻の船の中で唯一、塩飽の船だけだったと紹介しています。

 こうして秀吉から、この褒美として塩飽船方650人に対して塩飽諸島1250石が与えられこの朱印状が残されています。
 
 これが、関ヶ原の戦いの後の徳川政権でも引き継がれます。この時、全国の水軍を潰したのに対して唯一残したのが塩飽だった事から塩飽の船は、日本の海で独壇場になっていきます。

 2代将軍の時に始まった大阪城の再建では、塩飽の廻船が石の輸送を担い、巨大な花崗岩を運んだと語っていました。それは潮の大きな干満を上手く利用して載せて運ぶとその方法を紹介しています。

 丸亀市学芸員の方は、塩飽は小豆島の石も大阪城に運んでいたと言っていました。
 
 小豆島町では、数年前100トンの石をどう船に載せ、大阪城まで運んだかのプロジェクトを同志社大学と組み実証実験が日本経済新聞で報道されています。
 
 しかしこの実験に参加した学生がいく店で、実験は失敗したと聞いていたので、もしやと思い丸亀市学芸員に聞いてわかったものでした。

 2018 年、塩飽(丸亀市)は、笠岡諸島、土庄町、小豆島町の4地域でシリアル型で「石の島」で日本遺産申請をしています。
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 申請した塩飽のストリーは、瀬戸内海の石を運んだ塩飽廻船でした。

 城と言えば石!塩飽廻船の活躍で、3代将軍の時に大阪城再建が終わり、家光の御朱印状も残されています。
これは、やがて1672年に河村瑞賢が開発した北前船航路で約50年独占的に活躍していたのはこの後になります。
 
 吉田さんは、村上水軍を作家が取り上げている事から、村上水軍の方が知名度が高いと語っていました。
 また、朝鮮出兵時には塩飽船が32隻、650人の水主を出していていたと話は続き、石田三成ら重要人物も運んだとの秀次の朱印状が残されていた事も紹介していました。
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 この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の後半で放送されています。
その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。





















      

「すすめ北前船」第18回(江差)

 

これは、2017年11月24日と12月1日そして2018年8月3日の特別コーナー「進め北前船」の放送をまとめたものです。

 

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  ゲスト室谷元男さんは、「いにしえ街道歴史まち商店街」の立役者で「江差いにしえ資源研究会」代表として活躍されています。

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 8月3日の放送は、毎年8月9日から11日まである「姥神大神宮渡御祭」の話から始まっています。

 3日間、祇園囃子にのって江差の町を練り歩き最も古い神輿は、江戸期に大阪で制作され京都の祇園祭に似た所があると。
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この祭りで披露される、武者人形、能楽人形、文楽人形、歌舞伎人形は、時代を反映した人物で製作され、豪華13台の「ヤマ」に使われ、地区の宝物として各町内で大切に管理していると紹介しています。

 毎年、夏休みに合わせ子供達が練習する等、町全体でこの祭りを支えており、江差で生まれ育った人は、この祭りに合わせ帰郷する人は多いいと語っています。

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江差町は、2017年4月北海道で初めて単独で日本遺産の認定を受けていますがこの祭りも構成文化財になっています。 
 
 そのストーリーは、「江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-」という有名な言葉でした。
 
 8月の放送では、「かもめ島」が天然の良港になり、北前船が沢山入港しニシンで反映出来た背景を紹介しています。
 
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 この「かもめ島」も、日本遺産の構成文化財になっており、鳥取の「鳥ヶ島」赤穂の「生島」、そして江差でもこの「島」が構成文化財になっていたのがわかりました。

尚、8月の放送は、前半も室谷さんで、江差津軽、下北と伝統芸能での交流を紹介しています最後に、江差町で2018年9月21日第56回江差追分の全国大会、翌22日のイベント(写真)の紹介がありました。
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    (写真は室谷さんのfB)より
 
2017年の放送では、約30年前、兵庫県淡路の津名港で復元された高田屋嘉兵衛の辰悦丸が、瀬戸内海から日本海を北上し、多くの港のある町を巻き込んで江差港に入港した時の感動を語っています。この時の感動が、まちお越しに繋がったようです。
この辰悦丸の航海は、NHKが追い日本海の港町に大旋風を巻き起こしていたと明楽さんも話していました。

また、日本海側の各地から、北前船で運ばれてきた人形の話から人形祭りの話もありました。

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 去年からの3回の放送は、いずれも北前船とニシン漁で繁栄していた江差町で、それを今に伝える「姥神大神宮渡御祭」でまちおこしに繋げてきた想いを熱く語っていました。

 掲載の写真の一部は、明楽さんのFBから掲載しています。

  この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

「すすめ北前船」第19回(鳥取賀露神社)

「すすめ北前船」第19回(鳥取賀露神社)

  これは、2017年11月17日放送の「進め!北前船」の、fBへのコメントを再構成したものです。

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ゲストは、鳥取市の賀露神社の岡村吉明宮司でした。

    この放送の翌週、第22回北前船寄港地フォーラムがありゲストの岡村宮司も来られていました。(中央)

写真の北前船の模型は、賀露神社で保管されているものです。
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   このフォーラムから半年後、鳥取市北前船寄港地として日本遺産に認定され、

「賀露神社」「ホーエンヤ祭り」「まち並み」「鳥が島」等が構成文化財に認定されました。鳥取市のホームページには、島が構成文化財になるのは珍しいとありました。
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   この 島など4つは、瀬戸内海の坂越とまったく同類の構成文化財でした。

賀露神社については、2016年3月に行った時のブログを紹介します。

 

 http://sakosi-kitamaebune.hatenadiary.jp/entry/2017/01/05/051837

 岡村宮司は、祭りのホーエンヤの語源が吉備真備の船を奉曳(ほうえい)する船する時に使う言葉だと紹介しています。この為、明楽さんは、「坂越の船祭り10数隻の船でえい航している事にふれていました。

 陸上では小学生が、賀露神社に残されていた北前船の5分の1の模型である「御船」を曳いて回ると。

 海上では、顔に化粧をほどこした「ニワカ」と呼ばれる男たちが乗った伝馬船が、「ホーエンヤ、ホーエンヤ」というかけ声を掛けながら、千代川を下る箱船を漕ぐと語っていました。

  この祭は2年に一度開催され、次回は2018年4月29日だと紹介していました。

 翌週の北前船寄港地フォーラムについては、来年中核都市を目指している鳥取市での開催の意義と期待があると。

   フォーラム翌日のエスカッションでは、賀露神社を岡村宮司が案内し、その前の賀露港での「蟹祭り」の楽しみがあると語っていました。
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 フォーラム参加者は過去最大で、韓国、中国、ロシアの方々が来賓として来られていました。


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 浮島智子衆議院議員は、日本遺産制度誕生の秘話、地元石波茂衆議院議員からは、北前船についてご自身の感想をありのままに語っていました。
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  来賓の方々の挨拶は、地域の歴史を生かして地域活性化につなげる活動している「北前船寄港地フォーラム」への暖かい言葉と声援がありました。
 

   この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆき浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

 

 

「すすめ北前船」第17回(木古内の咸臨丸)

これは、5月11日放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の特別コーナー
『進め!北前船』のFBへのコメントを再構成したのです
 

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今回は、北海道新幹線の最初の駅がある木古内在住の多田賢淳さんです。

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 多田さんは、最勝寺浄土真宗)の住職、木古内保育園の園長をされ、咸臨丸子孫の会員でもあリます。
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  明楽さんは、この本堂でチェンバロを以前披露しています。

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 木古内は、17世紀頃から松前藩が統括し函館と松前を結ぶ宿場町として栄えたといい、函館戦争の通り道にもなっていたと紹介しています。
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やがて咸臨丸の話は、明治に入ってから新政府の御用運搬船となり、戊辰戦争で敗れた仙台藩の371人が、白石から咸臨丸で函館経由で小樽に行く途中の木古内のサラキ岬沖で座礁し沈没しています。

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 この咸臨丸の歴史遺産を観光にと、青函連絡船で使われなくなった救命ボートの寄贈があり、地元の大工さんの協力で3本のマストを立て、咸臨丸のモニメントを制作したと。
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 この湿地に、チュウリップを植えたのが14年前だといい、それが今では、5万本80種類近くにもなり北海道で有数の花の町になっていると紹介しています。
 
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 チュウリップを植えたのは、咸臨丸がオランダで建造されていたからで、これが縁で木古内とオランダが繋がっていたのを知りました。

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 サラキ岬沖の海底の咸臨丸に、オランダ文化庁が注目し東京海洋大学と共同で、今年から調査すると。
 これは、ユネスコが水中に100年以上前の海底にある、遺跡、構築物、建造物、船舶等の遺産を対象に、調査や保護を行うとしているものです。
 尚、100年経過した豪華客船タイタニック号も水中文化遺産の調査の対象となっています。
  多田さんの、「自分が生まれ育った木古内の誇りと想い」を、将来を担う子供達を育てていきたい気持ちを熱く語っていました。
 
 公の補助金に頼らす、多田さんをはじめ木古内の方々が、力を合わせてきた活動が、水中文化遺産として世界遺産登録になればと思いました。
  掲載の写真は明楽さんのFBからのものです

この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

 










 









「すすめ北前船」第16回(京都和束町から和束茶)

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これは、「明楽みゆきのチエンバロ浪漫紀行」の特別コーナー「進め!北前船」のfBのコメントを再構成したものです。

   1月26日のゲスト山岡かずみさんは、京都南に位置する和束町の和束茶のPR大使で「おもてなし煎茶師」として和束茶を広める数々のイベントを企画しています。
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 日本茶の消費は年々減少に伴い、茶畑も全国的に減少している中、知られていない和束茶を広め、和束町の茶畑の美しい景観も残したい想いを語っています。

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  1月にあった、鴨川のほとりのザ・リッツ・カールトン京都での和のティーコンサートは、和束茶を使いブレンドの仕方や温度や入れ方により、お茶の味わいの違いを披露しています。
  これは、山岡さんがプロデュースし、年4回開かれ今回が15回目だと。
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  今回は、北海道命名150年記念行事としても開催され、輪島漆器九谷焼、有田焼の器に北海道名産の昆布、イクラ、蟹等の食材をふんだんに使った料理は、北前船の時代から続く食文化も再現をしています。
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 明楽さんは、チェンバロ演奏と上方の食文化と北前船の話で去年からこの企画に加わっていると。
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  この前日の山岡さんの企画は、守口市に今も残る文禄堤の一角にある薩摩英国館で、かっての京街道の歴史を紐解き、チェンバロ演奏と北前船と食文化を紹介したと。
 山岡さんは、煎茶、昆布出汁を楽しみながら「おもてなし煎茶師」として、和束の味わい方を披露しています。

 山岡さんと初めて会ったのは、明楽さんのライブが大阪の食博があった2017年5月でした。
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この時、和束茶を初めて知り、美味しい日本茶の入れた方、そしてそのトークから、京都のお茶と北前船との繋がりも知りました。

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 青森野辺地町での北前船寄港地フォーラムでも中谷町長が、京都から運ばれてきた茶箱の話をされ、北前船と京都のお茶の繋がりを紹介しています。
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2015年4月、和束町と宇治等が日本茶で日本遺産の第1号に登録されます。

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その2カ月後の6月、宇治の神社巡りで宇治茶が日本遺産第1号に登録され日本遺産の制度が始まった事を知りました。

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 故郷の坂越には何かないか?それが北前船の始まりでした。


掲載の写真は、明楽さんのfbからお借りしています。
 

  この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆき浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。