第74回 名城巡りと北前船の旅 香川県小豆島町の内海八幡神社
掲載写真は 内海八幡神社黒木治夫宮司氏の提供。
2023年3月、香川県小豆島町にある内海八幡神社に、輪島塗の絵馬が掲げられていると地元の金両醬油の藤井保壽オーナーから連絡があったので、土庄町の南堀英二氏に案内していただいた。
藤井氏から元小豆島町会議員の浜口勇氏を紹介され、浜口氏と内海八幡神社をたずね黒木治夫宮司ともお話した。
神社には、絵馬の他、本殿正面には狛犬、そして一対の灯篭があった。

一対の灯篭について、富山県立山博物館・学芸員 細木ひとみ氏を浜口氏から紹介され、明楽みゆき氏のFM番組で話して頂いた。
細木氏は、民俗学が専門で現在は生まれ育った富山県の立山博物館で、立山信仰について研究活動をしている。
細木氏は西宮博物館(兵庫県)の学芸員として活躍していた頃、小豆島町の小高い丘にある内海八幡神社に参拝している。
この参拝をきっかけに、一対の灯籠に「西宮威徳丸船頭半衛門」と「西宮威光丸船頭半左衛門」の文字がある背景を調査し、「御影史学論集」で発表している。
西宮鳴尾村では、貞享年間(1680年代)から酒造りをしていたが、その一人に辰馬半右衛門がいた。辰屋は4代目として小豆島橘村(現小豆島町橘)の橋本家から入った婿が、1804年頃より酒造りから廻船に傾斜していったという。
これは灘や西宮で造られた酒を、小豆島南東部の船頭達が樽廻船で江戸へ運ぶ出稼ぎをしており、橋本家もその一人だった。
毎年、新酒を運ぶレースがあり、一番早く江戸に着いた酒に高値がついた程、新酒を江戸に早く運ぶことが重要だったことから、操船技術にたけた小豆島の人達に活躍する余地があったようだ。
内海八幡神社の一対の石灯籠の年代より少し下る頃の史料『西宮樽廻船並荒荷建名前帳』に、辰馬半右衛門の「威光丸」「威徳丸」の名あることから、酒を江戸に運んでいたのがわかる。地元の氏神である内海八幡神社に石燈籠を寄進したと考えられる。
またこの神社東側の荒神社に、15代辰馬半右衛門が寄進した石の階段がある等、小豆島橘地区との深いかかわりが残されている。この他小豆島南東部との繋がりの例に、西宮今津の「小豆嶋屋」という酒造家がいたことも紹介。
またこの神社の拝殿に輪島塗の絵馬が、どんな経緯で寄進したものか調べて欲しいと浜口勇氏から依頼があった。
そこで輪島市のいしかわ百万石文化祭推進室次長・殿田憲司氏に輪島塗についてFM番組で話していただいた。
輪島漆器は、室町時代、和歌山の根来寺の僧侶が能登を訪れ製法を伝えたのが始まりで、
江戸時代に入り、全国に広がった例を二つ紹介している。
その一つが、輪島の門前町の曹洞宗大本山へ全国から上がった僧侶たちが、各地へ帰る際に漆器を持ち帰っていたことだ。
もう一つは、輪島塗の塗師屋が、問屋を通さず販売する仕組みを確立し、神社仏閣の他、庄屋が来客のもてなし用に使う御膳や御盆などを各地で販売した。
これを促進させたのが北前船で、帆船を3隻持つ久保屋を中心に、輪島の港から各地に運ばれた。
輪島市の北前船の日本遺産構成文化財の住吉神社の鳥居は、小豆島産の石でできており小豆島との関連は不明だが、明治に入り小豆島の内海八幡神社に、関係者が輪島町の塗師屋 西門善七に発注したものとわかつた。
また内海八幡神社に狛犬があったので、浜口氏から紹介して頂き「小豆島狛犬探究会」の山西輝美氏にFM番組で話していただいた

