「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

「名城巡りと北前船の旅」 第65回 丸亀城

 
 最初は、丸亀市教育委員会文化財保存活用課・課長 東信男さんに丸亀城日本100名城)と、丸亀市の日本遺産について話していただいた。
  

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2015.7
丸亀城は、昔のままの天守が残る12ヶ城の一つで、昭和25年重要文化財に指定された。渡櫓や隅櫓で繋がれた天守と大手門が残る城は、弘前城高知城の3城しかなく、天守と大手門を合わせて見られる城は高知城丸亀城だけだ。
 石垣の城として知られ、「扇の勾配」の美しい反りをもち、搦手側の幾重にも折り重なる石垣は圧巻である。

2015.7
 丸亀城の石垣は20mを越え、この天守から塩飽諸島本島や岡山が見える。

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 この塩飽諸島周辺は潮流の変化が大きく、戦国時代までは操船技術を持つ塩飽水軍が活躍し、航行する船の停泊地や修理地にもなっていた。
 塩飽諸島は、令和元年、笠岡市丸亀市・土庄町・小豆島町と共に、備讃瀬戸をテーマとする「石の島のストーリーが知ってる!?悠久の時が流れる石の島 ~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」として日本遺産に認定された。
 塩飽の島々には、400年に渡って巨石を切り出し、加工し、船で運び、石と共に生きた人たちの足跡が残る。

 (2019.5)
 その構成文化財に、塩飽勤番所跡、笠島集落、廻船業で活躍した尾上邸、青木石の産地である石切丁場の上には王頭砂漠と呼ばれる王頭山がある。
 

(2019.5)

 本島にある塩飽勤番所跡は、昭和45年国指定史跡になり、天皇陛下が昭和57年、学生時代に水運のご研究のために立ち寄られ、番所跡に「雲間より志ののめの光さしくれば 瀬戸乃島々浮出にけり」の歌碑がある。
 本島の北東部の笠島集落は、昭和60年国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、タイムスリップしたような家並みが残されている。
 塩飽諸島の広島町には、北前船で富を築いた尾上吉五郎邸がある。
 屋号を橘屋と名乗り、先代の吉五郎は青森県野辺地の青木石で造られた常夜灯の礎石にその名が刻まれている。笠島集落は瀬戸内国際芸術祭の会場になり、昔ながらの街並みを活用して芸術とのコラボが行われるので是非お越しいただければと、東さんは話しを締めくくった。

 

 続いて、多度町教育委員会学芸員 白木亨さんの話です。

白木さんは、「北前船・船主集落」で日本遺産申請するにあたり多度津北前船を調査されている。

 多度津藩は、元禄7年(1694)丸亀藩から分家した1万石の小藩だった。文政10年(1827)に陣屋を置いた後、天保9年(1838)、巨費を投じて桜川下流の港を整備した。

 そのため多度津港は北前船等の商船の発着港、金毘羅参詣者が降り立つ港として発展する。参拝客は、港から南に延びる「多度津金毘羅街道」を通り金毘羅詣りをした。

 (2019.5)
 多度津港から積み出されたものは、特産品の讃岐3白(塩・砂糖・綿)や、天霧山の天霧石がある。

 宇多津や讃岐荘内半島の塩田で塩が生産されていた。赤穂藩は、この地域など瀬戸内海各地に入浜式塩田を伝授していた。

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  (多度津町立資料館内  2019年5月

多度津町立資料館には、高見八幡宮に奉納された北前船の模型(写真)が展示されている。宝暦5年(1755) の弁財船で、香川県で最も古く全国では3番目に古いという。この北前船の模型は、日本遺産北前船関連資料群の一つである。

     金毘羅鳥居一の鳥居  白木亨さん提供

 そのほか構成文化財に、旅館跡・廻船問屋住宅跡・蔵・金毘羅街道に残る鳥居(現在は町内の桃陵公園に移設)・常夜燈(金毘羅燈籠)等、全部で12ある。

金毘羅鳥居三の鳥居 白木亭さん提供

 

 最後は、琴平町金刀比羅宮の元禰宜(ねぎ)で現在相談役の科野 齋さんに話して頂いた。

 香川県琴平町象頭山(海抜521m)の中腹に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)は、(こんぴらさん)の俗称で呼ばれ、漁師、船員などが航海安全を祈願する海の守護神として信仰され、全国に800ほどある金刀比羅の総本宮社である。

 江戸中期ごろから金刀比羅詣が盛んになり、上方から「こんぴらさん」に行くには、大坂淀屋橋からは船で丸亀港、西からは多度津湊から渡り、ここで一泊してから徒歩で金刀比羅宮に参る。

 その夜は、この門前町で芝居や豪遊を楽しみ、帰りは船で大坂へは下津井湊(岡山県)に渡り、山陽道で帰っていたという。

 (2015年.7)

参道には旧跡や文化財があり、土産店や飲食店などが建ち並ぶ。参道入口から御本宮までの石段の数は785段、さらに奥社までは583段あり、総数1,368段におよぶ。

 表書院(重要文化財)には円山応挙の虎の襖絵(重要文化財)、奥書院(重要文化財)には伊藤若冲の「百花図」があり、絵馬堂には嘉永3年(1850)の北前船(松栄講)の絵馬など、合わせて文化財は1725点に及ぶ。

 この中には、南越前町のブログで紹介した右近家が明治21年に奉納した絵馬がある。これは、大阪の絵馬屋藤兵衛の作品で、色も鮮やかで素晴らしい大作だという。

 この他、京都の近江商人が奉納した絵馬や、さまざまな方向から描いた異彩を放った絵馬もある。この他、北前船の模型・正月船の奉納は、正月に床の間に飾り楽しんだもので、山陰地方の風習で嫁入り道具のひとつであったという。

 また、前述した多度津港と同様の北前船寄港地の一つ、山形県酒田で鋳造された3メートルにおよぶ銅製の灯篭もある。

 瀬戸内海を航行する船は、「こんぴらさん」が見えると航海安全の願いを込め、金刀比羅宮の旗を立て、お賽銭や酒を入れた樽を海に流す「流し樽」と呼ばれる代参の風習があり、現在も年に数回あるという。

 この樽を拾った船乗りは、「こんぴらさん」へ奉納するというもので、樽を流した人も届けた人にも御利益があるといわれている。

 1年間の行事で最も重要な御祭「大祭」は10月に行われ、頭人を先頭に行列が1キロに及ぶ勇壮な祭りである。

 金刀比羅歌舞伎で有名な歌舞伎小屋(天保6年築)は、改修され重要文化財になっている。昭和60年から歌舞伎が毎年開催され、この催しのある時は、8000人の琴平町に10万人が訪れるという。

「しあわせさん こんぴらさん」がキャッチフレーズになっている事を、科野さんは最後に話していた。