『名城巡りと北前船の旅』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の企画し紹介している

『名城と北前船を巡る旅』第67回福知山城(由良川)

第67回福知山城

福知山城(続日本100名城)について福知山市文化財保護係の松本学博さんに話していただいた。

 福知山城は光秀が天正7年頃(1579)築城したが、当時から残る個性豊かな石垣と、北近畿唯一の天守が魅力である。

 光秀は福知山に市民から慕われ昭和61年(1986)復元され「福知山光秀ミュージアム」で詳しく展示されている。

 復元された福知山城(福知山市文化スポー振興課提供)

 

城の石垣は、寺社などで使われていた石塔等、500程の「転用石」が使われた野面積みは現存し市の文化財である。

城の近くの光秀を祀った『御霊神社』(福知山市文化スポーツ振興課提供)

大河ドラマ麒麟が来る』で見る光秀の家紋「桔梗」は、福知山の市の花に制定されている。

  福知山藩の特産品になった「丹波漆」は、1300年ほど前には税として納められており、藩が夜久野町で植栽を推進し、漆の増産を奨励していた。 

 「藍」については京都の松尾大社の荘園が福知山にあり、1473年にこの地の荘園の人々が松尾大社へ藍を納め、1496年には浅葱色(明るい青緑色)に染めた布を納めたという記録があり紺屋町の地名が残っている。

丹波の漆掻き」は平成3年が京都府無形民俗文化財に指定され、藍は、25年程前から藍同好会ができ、由良川の藍の栽培に成功し技術と伝統が継承されているという。

  17世紀後半、西廻り航路が活発になると福知山から、綿・茶・漆・紙等が由良川河口の由良港や神崎港に高瀬舟で集められた。由良川河口東に神崎、西側に由良村があり、若狭湾に面した海岸一帯では揚浜式塩田で製造された。廻船業も盛んで船主、船頭・水主の活躍で海から遠い綾部、福知山まで高瀬舟で運ばれた。

 由良川沿いに、川の港を意味する「天津・高津江・常津」などの「津」の地名、船着き場を示す「舟渡」の地名が残っているのはそのなごりだ。

 

 出典 京都府HPより

  

 由良川高瀬舟と藩の関係について、国土交通省のHPには、『安土桃山時代明智光秀が城下町を開くため堤防を築造し、由良川の河道を付け替えた堤防前の樹林群は「明智藪」と呼ばれ現在も残っている』と記述があった。

 (由良川の改良図) 国土交通省のHPより



明智藪;福知山市街地)国土交通省のHPより

これについて松本さんは一次史料では確認できていないと語り、由良川土師川(はぜがわ)の合流地点に堤防を築いたのは伝承であると話していた。