「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

「名城巡りと北前船の旅」第70回南海路①

南海路①

 西廻り航路で北前船が航行する前から、大坂ー江戸間を往来した廻船があった。

 その船は菱垣廻船と呼ばれ、この菱垣廻船や樽廻船にも尽力した田沼意次の話を、静岡県牧之原市史料館・学芸員 長谷川倫和氏に、そして神奈川県平塚市博物館学芸員 早田旅人氏に相模川の舟運について話をして頂いた。

 近世の郷土史民俗学が専門の牧之原市史料館の長谷川氏のインタビューから紹介する。

 牧野原市提供  静岡県牧之原市史料館

   牧之原市史料館は相良城本丸跡に田沼意次候顕彰のために建てられた施設で、その生涯、功績、田沼家の遺した美術品や古文書などが展示されている。

 江戸幕府成立から人口急増したが、江戸周辺は産業が未発達で先進地域の上方からの日用品等の大量の物資を輸送をしていた。それが 両舷の垣立という部分に菱組みの格子を組む「菱垣廻船」、そして酒樽が主な積み荷の「樽廻船」だった。

 

出典:Wikipedia 1860年代の「菱垣廻船」

 菱垣廻船の活躍から50年余りして西廻り航路が整備されると、江戸や大坂に集まる物資の増加から南海路はさらに発展する。

 大坂側に隣接する御前崎湊は風が強く岩礁のため船の難所で、牧之原の相良湊と川崎湊が南海路の寄港地として重要な存在になった。

 田沼意次候が相良藩主になると、港・街道・橋などのインフラ整備、製塩や養蚕などの興業を進め、相良湊は発展していく。

 田沼時代に、廻船問屋が航海の安全と商売繁盛を祈念する為に始まった祭りに、大江八幡宮の『御船神事』(国重要無形民俗文化財がある。

 出典:Wikipedia(国会図書館蔵)   大江八幡宮の御船神事を描いた江戸時代の彩色画(1803)

 菱垣廻船と樽廻船の模型を使いシーソーのように上下に練ることで、波を乗り越える廻船の様子を表現し、商売繁盛・海上安全を祈願したもので、現在も継承されている。

 当時、南海路では菱垣廻船と樽廻船の競争が激化し、無理な積み荷や運送による海難事故が多発していた。意次候は、過度な競争を防ぎ商品の流通を安定させるため、対立していた菱垣廻船と樽廻船それぞれの権益を認め、幕府の統制のもとで物資の安定的な供給を実現し、自領の港を整備、過度な競争による事故に備えた。

 意次候は現在の岐阜県郡上市で起こった百姓一揆を裁定し、牧之原に領地を与えられ相良藩1万石の大名になり、最盛期には、石高5万7000石にもなる。

 しかし、天明7年(1787)意次候は失脚し相良城も取り壊されるも、文政6年(1823)、意次候の四男・意正が旧領復帰を果たし、明治維新まで田沼家の領地として存続している。意次翁は、米経済が中心の時代に、商業を重視し流通に目を向ける等、時代を先駆けた視点を持った人物だった。

 牧之原市提供 (田沼意次候の銅像

 2020年5月、全国初の田沼意次候の銅像牧之原市史料館の前に建てられ、2021年12月、田沼意次侯の大河ドラマ誘致が宣言されたと長谷氏は語った。

 

次は神奈川県平塚市博物館学芸員 早田旅人氏(専門は近世史)に平塚港と舟運の話をして頂いた。

 Hiratsuka City Museum.jpg

  出典:Wikipedia平塚市博物館

 平塚は幕府領(徳川直轄地)だったが、旗本に領地を与え旗本領になる。徳川家康は関東に入城後、平塚で鷹狩をたびたび行い、やがて防衛設備も備えた「中原御殿」を造営し、駿府・京都などの往復時に中原御殿に宿泊している。

 

 出典 国会図書館デジタル 平塚宿

 平塚宿は、徳川家康が東海道に宿駅伝馬制度を設けた慶長6年(1601)に成立し東海道53次の一つになった。宿駅伝馬制度で、陸の宿駅・伝馬制度で、交通・通信体制の礎を確立している。

 平塚の港、須賀は相模湾岸の海運の中心地で、相模川上流の山梨からもたらされる筏による木材などの物資運送の結節として栄えた。

 また相模から千葉の野田に醬油の原料となる小麦を廻漕し、荷主には現在のキッコーマン(株)の前身となる醤油醸造家がいた。相模で産出される「相州小麦」は、良質で醬油の原料として珍重されたという。

 国会図書館デジタル (江戸期の須賀港)

 廻船業は多角的経営で茶や白砂糖等の廻漕・販売、さらに金融も行い、江戸城下の発展にともない、相模川相模湾の流通量が拡大していく。

 須賀の廻船問屋が上流の材木事業者に融通した金融は、運賃をとれる積荷を確保するためで金利はとらなかったという。このことから須賀村の廻船問屋と上流の材木事業者との間で川がつなぐ金融・経済圏ができる。江戸は初期から建設ラッシュ、その後は度重なる大火で、木材の需要が旺盛だった事から平塚は廻船でにぎわっていた。

自然の画像のようです

 出典 国土交通省HP(現在の相模川周辺)

 平塚市博物館は6つの分野(天文・地質・生物・考古・歴史・民俗)で、それぞれの学芸員の研究をHPで掲載の他、博物館公式YouTubeチャンネル「HIRAHAKUチャンネル」で「5分でわかる平塚学入門」のシリーズがあり、早田氏は、YouTube相模川の水運」で木材の筏流し、金融の仕組みを紹介している

 また2016年家康没後400年では、家康と平塚の関係を考えた特別展が早田氏の企画で開催された。