第10回 宮津市
宮津市の府立丹後郷土資料館 学芸員 吉野健一氏の話から紹介する。
「北前船寄港地・船主集落」で宮津市が日本遺産に追加認定された2018年、吉野さんが中心になり、丹後ブロックが企画した「北前船フォーラムin宮津」が開催された。
北前船の日本遺産構成文化財に三上家文書や加藤家文書があり、吉野さんは構成文化財の和貴宮神社に富山の薬売衆や、銭屋五兵衛が奉納した玉垣があると紹介している。
「北前船寄港地・船主集落」で宮津市が日本遺産に追加認定された2018年、吉野さんが中心になり、シンポジュウム・企画展を開催している。
北前船の日本遺産構成文化財に三上家文書や加藤家文書があり、吉野さんは構成文化財の和貴宮神社に富山の薬売衆や、銭屋五兵衛が奉納した玉垣があると紹介している。
由良川河口東に神崎、西側に由良村があり、若狭湾に面した海岸平地の集落。
河口付近は塩浜に従事する者が多く揚浜式製塩が行われ、廻船業も盛んで船主、船頭・水主の活躍で海から遠い綾部、福知山まで北前船と繋がっていた。
由良地区で造船された北前船の15分の1のスケールの模型
吉野さんは、北前船の研究には地元の方々の協力に加え、寄港地の古文書等で連携する必要性を述べ、この企画展開催等から地元の方々の意識に変化が出てきたと語っている。
後日、舞鶴観光協会広域観光公社事業本部長・釼菱英明さんが上京された時、由良川の段差を利用し、そこに関所を作り藩が収入源としていた時期があったことを解明したのが吉野さんだったと知った。
国土交通省のHPを見ると、『安土桃山時代、明智光秀が城下町を開くため堤防を築造し、由良川の河道を付け替えたと言われ堤防前の樹林群は「明智藪」と呼ばれ現在も残っている』と記述があった。
福知山市の文化財保護係の松本学博さんにお聞きすると、光秀が由良川を改修し「明智藪」とよばれる大堤防を築いた一次 史料はないと話していた。
今後この「明智藪」について新たな史料が出てくることに期待している。