すすめ北前船

北海道発のFM放送「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」を瀬戸内海からFBとブログで発信しています

「すすめ北前船」第10回(古伊万里)  

これは、2月16日と23日にfmしろいし局から放送された「チエンバリスト明楽みゆき」の特別コーナ『進め!北前船』のFBのコメントを再構成したものです。

   古伊万里は、18世紀に入るとオランダからイギリスに貿易の主導権が移り、ドイツのマイセン、中国磁器が活躍するようになり、古伊万里は国内に活路を見出します。

 その結果、高級品から庶民向けまでの伊万里焼が、伊万里港から全国に船で運ばれ、大阪の佐賀藩指定の卸問屋にも運ばれます。
f:id:chopini:20180330064307j:image

 こうして伊万里焼は、大阪からも江戸、そして北前船で全国に運ばれ、小浜、三国、福浦(石川)佐渡、酒田、松前には、大量の古伊万里が発見されています。
 小説『菜の花の沖』では、高田屋嘉兵衛は大阪の問屋で大量の商品を仕入れ、北前船松前まで一気に運んでいたとありますが、古伊万里は書かれていません。

 松前でも伊万里焼が沢山発掘されているので、嘉兵衛が運んだものがあるかもしれません。

蒲池さんの話から古伊万里を嘉兵衛が、見逃すはずがないと思いました。

 

f:id:chopini:20180330064820j:image
 

 f:id:chopini:20180324162307j:plain

 

「すすめ北前船」第10回(古伊万里)  

 東西古今 明治伊万里研究所の代表取締役の蒲池孝典さんは、ギャラリー花伝の運営もされ、

明治古伊万里の「美」の世界を語っています。
f:id:chopini:20180330063224j:image

 柿右衛門古伊万里が、ヨーロッパに大量に輸出された18世紀末迄が第一の黄金期だといい、第二期は、幕末パリ万博に伊万里焼の出品がきっかけだと話してします。
f:id:chopini:20180330063331j:image

帆船の北前船の時代にいち早く蒸気船で活躍した久富 与平昌起が、伊万里焼の輸出を再開します。与平は、佐賀の小城藩主から蒸気船「大木丸」を与えられ、海運と貿易で五大州を廻らんと望んでいたと浦池さんはいいます。

 明治に入り文明開花の中、明治政府の日本の伝統美の推進、輸出拡大政策から黄金期を迎えます。

西洋食器の文化を融合させた明治古伊万里が、明治16年鹿鳴館で使われた事から輸出が加速します。しかし大量に生産が出来なかった事から、価格競争に負け明治末に現在のノリタケに生産が移転されたと。

 佐賀と釧路航路でも活躍していた与兵の大木丸は、明治初め千島沖で難破し半年余り漂流し病死する。この時、「遺体は海中に投ぜよ。死後長鯨に跨って初志を遂げん」と言い残していたといい、有田町の報恩寺には、鯨をかたどった台座に与平の碑が建っていると語っています。
f:id:chopini:20180330065540j:image

その後、佐賀の武富善吉が釧路で活躍し、釧路で知らない人はいないとの放送でした。


  掲載の写真は明楽さんのfbからお借りしています。

この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆき浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

 無料アプリ日本ラジオのダウンロードして頂ければ、全国どこからでも聴けます。