『北前船浪漫紀行』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」をFBとブログで発信しています

すすめ北前船『北前船寄港地船主集落の旅』第3回 三国湊(坂井市)

三国湊は2018年に「北前船寄港地船主集落」で日本遺産認定された。

そこで「みくに龍翔館」 学芸員の角明浩さんと福井市の(有)匠工芸代表取締役 村田浩史さんに、認定された 日本遺産構成文化財の中から詳しく解説して頂いた。

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みくに龍翔館内の展示 (2015.10)

『みくに龍翔館』は、復元した明治時代の小学校を使用したレトロ感のある建物で「北前船寄港地フォーラムIN坂井市三国湊」では案内のコースにもなった。現在リニュアル中で、令和5年のオープンまで長期休館中である。


まず角さんは、丸岡城(日本100名城)を藩庁とする丸岡藩と、福井藩の権益争いの舞台となった九頭竜川河口の瀧谷湊(瀧谷寺)について、『みくに龍翔館』に残る文献から紹介している。

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(丸岡城 2015.10)

九頭竜川竹田川日野川足羽川などの河川が合流している。

この舟運を利用した交易は、福井藩と丸岡藩の財源を明治維新まで支えた。

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みくに龍翔館近くの三国観光ホテル屋上から見える九頭竜川河口 (2018.7)

2つの湊は現在は坂井市だが、明治までは瀧谷湊は丸岡藩、三国湊は福井藩だった。

かっての瀧谷湊には、瀧谷寺や魚志楼(松崎家住宅)があり、共に日本遺産構成文化財で、魚志楼は北前船の船主や商人が利用してにあり花街の中心にあり賑わった。

両港から、特産品の青い笏谷石等が北前船蝦夷地等に運ばれ、蝦夷からは海産物、瀬戸内海からは塩などが運ばれていた。

三国湊の更に下流の瀧谷湊は、瀧谷寺の門前に開けた村で、丸岡藩が管理し藩倉が置かれ、藩札を発行する程の重要な湊だった。

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福井藩は、下流の丸岡藩領滝谷村との境界に三国湊口留番所を置いて、港銭取立所で港の管理運営をしていた。 

  瀧谷湊に入港するには、川上の福井藩に入出帆時の諸届出が必要で、時の丸岡藩主 本多成重が福井藩に抗議するも声は届かず、本多氏に替わって元禄年間有馬氏が入部した後も続いた。

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丸岡城内にあった案内版2015.10)
福井藩は「キリシタン改め」を口実に、三国湊に入船させ調べさせた記録がある。 江戸後期になると、上流から土砂が堆積して三国湊は下流に移動し、下流の瀧谷湊との利害がさらに激化し訴訟に発展している。湊の権益争いは地元では解決出来ず、江戸幕府に持ち込んだ折の和解の訴状も『みくに龍翔館』に残っている。

 

また、『みくに龍翔館』には日本遺産構成文化財19のうち「三国船箪笥」等 三分の一があることから、匠工芸の村田社長に「三国船箪笥」について語って頂いた。

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匠工芸が復元した三国船箪笥は、これまで東京等の百貨店で「職人の伝統の技」に展示販売している。
 写真は2020年9月東京吉祥寺の東急百貨店の「第40回日本の職人展」の時のもの。

 

船箪笥は設計図がなかったことから、50年ほど前、先代は、仕様・素材・意匠も北前船が活躍した時代のまま復元させる為に佐渡で調べたという。

旧家に残っていた古い船箪笥を解体し、試行錯誤を繰り返し完成させた。

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吉祥寺東急百貨店の「第40回日本の職人展」2020年9月

 船箪笥は、船の往来手形・北前船の売買で得た小判・仕切書・印鑑等を保管するために必要なものだった。





 船が遭難しても船箪笥は水面に浮かび内部に水が入らない構造になっていて、破船して船箪笥が海岸に漂着すると役所に届けられ、家紋や屋号、船往来手形から持ち主がわかるようになっていた。

 

40キロから100キロある船箪笥が何故海に浮かび、中の重要書類が水にぬれないのか?

船箪笥の中は桐で出来ていて、水にぬれると膨張し気密性が高まり容易に開かない構造になっているが、これだけでは水に浮かない。



 中に水が入らないようするため船箪笥の前面は重い鉄の金具で装飾し、水中ではこの装飾金具の重みから前面が下を向き、バケツをひっくり返したような構造から浮力が生まれ、船が沈んでも船箪笥は浮いたと村田さんは話す。

  

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 村田さん提供

これを証明するため、平成6年高さ22メートルの福井県三国の東尋坊から、復元した船箪笥の投下実験を行っている。

 

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 村田さん提供

この模様はニュースの生放送で中継され、船箪笥が浮くこと、頑丈さを証明し、伝統技術の優秀さがめられている。
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「懸硯」(かけすずり)村田さん提供

船箪笥には1枚扉の「懸硯」(かけすずり)、廻船問屋が一番大切にし「帳箱」、中に引き出しが2段ある「半櫃」(はんがい)があり、商談の時に使う衣装が入っていた。  
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「帳箱」村田さん提供
 湊に船が着くと「懸硯」を陸揚げして、レジ替わりに商いをしていた。

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はんがい 村田さん提供

机の役割をしていた「知工箪笥」(ちくだんす)は、海に浮かばなかったという。
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知工箪笥 村田さん提供

これら4つを総称して船箪笥と名付けたのが、民芸運動家の柳宗悦で1961年に提唱された。

三国船箪笥は、民芸運動家の柳宗悦が推奨するほどの高い技術で製作され、北前船がうんだ工芸品だ。

佐渡の宿根木での宿では、これら4つの箪笥を座敷に展示し、どれだけ成功してきたかを豪華なつくりでその格を見せていた。