『名城巡りと北前船の旅』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の企画し紹介している

名城巡りと北前船の旅42回③安土城.八幡山城


③(安土城八幡山城) 

近江八幡市の市史編纂室の烏野茂治氏のインタビュー紹介します。

 近江八幡市にはかって安土城八幡山城があり安土城跡は日本100名城の一つ。

 信長の死後、豊臣秀次が築城したのが八幡山城(1585)。

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 烏野さんは、八幡山城の築城で安土城下の商人や、琵琶湖周辺の村々の商人がこの城下に集まってきたと紹介している。

 城の掘割が運河の役割をし琵琶湖から京へと舟で繋げていた地利で、現在でも和船で堀巡りができるそうだ。

 この中で、代表的な近江商人の活躍を紹介している

 最初の初代岡田彌惣右衛門は、八幡城築城を機に城下にいち早く進出。慶長年間(1596~1615)に呉服太物等の販売の為、八戸に拠点を設けた。

 1614年には、松前藩の助力を受け八戸から松前に拠点を移し、蝦夷地で呉服・太物等を販売する「恵比須屋」を松前に支店を開設。八幡町に本家を構え全国(江戸、東北南部、松前等)に出店している。八幡町では「松前屋」、松前では「恵比須屋」の屋号で商いをしていた。f:id:chopini:20200503205210j:image

 近江八幡市新町周辺の常夜灯の中に松前屋中があった謎がこの放送でわかった。

 この周辺の町並みは 国の重要伝統的建造物保存地域に指定され白壁の土倉、豪商たちの屋敷が残っていた。その一角にある「近江商人のふるさと」の案内板に、北海道、九州、東南アジア(御朱印貿易)でも活躍していたとあった。f:id:chopini:20200504121618j:image

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 松前城内に展示されているレプリカの松前屏風は、この岡田弥三右衛門が松前での繁栄を後世に伝えるため、松前の絵師・小玉貞良に描かせたもの。明治になると第11代目岡田家は、小樽に進出し、炭鉱や農場を開発経営していた。

 また二人の西川の活躍を紹介している。

初代西川伝衛門は(1627-1709)、北海道で帆船を建造し敦賀等で商いをし、その屋敷(国の重要文化財)は資料館として近江八幡市で公開されている。 伝衛門は、近江八幡に本店を設け松前を拠点に松前藩の場所請負人として典型的な活動をしていた。(『松前町史』)
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 初代西川甚五郎 は、1587年蚊帳等の生活用品の販売の為この八幡町に本店を移転している。甚五郎 家は、北前船の時代が終わった後も「西川ふとん」として存続発展する等、近江商人の流れを組む会社が多く残って

いる。

 

 烏野さんは、大量輸送ができる帆船で流通を発展させた近江商人の「ノコギリ商法」と説明があったが、これは後の北前船の「買い積み商法」の原点になった。近江商人は自 分達だけの商いではなく地域にも貢献している。

近江八幡市にはその足跡が多く残され、その原点である三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」  の有名な言葉を紹介している。

 この近江商人の原点は、信長の楽市楽座規制緩和で、関所が廃止され、自由な商売が出来るようになった事から、琵琶湖周辺の船による流通を発展し自由な商売が出来るようになった事にある。

 今回の烏野さんの話から、今後以下のストリーをゲストの方に語って頂きたいと考えています。

 光秀の坂本城大津市)・信長の安土城近江八幡市)・秀吉の長浜城長浜市)・琵琶湖の西側の織田信澄の大溝城(高島市)は、水運で物流の拠点琵琶湖を繋ぎ、水城で坂本(大津)、安土、長浜を船で繋げていた。(『覇王信長の海琵琶湖』)


参考文献  覇王信長の海 琵琶湖

      松前町史