すすめ北前船

北海道発のFM放送「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ北前船」を瀬戸内海からFBとブログで発信しています

「すすめ!北前船」第13回(下津井)

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これは、FMしろいし局から放送された「チエンバリスト明楽みゆき」の特別コーナ『進め!北前船』のfbのコメントを再構成したものです。

  「すすめ!北前船」第13回
 今回のゲストは、倉敷市の「むかし下津井廻船問屋」の矢吹勝利館長で去年8月と今年3月の放送をまとめました。
 
  児島半島の先端の下津井は、かっては「吉備の児島」と呼ばれた島で、本州との間に「吉備の穴海」(写真)があったと矢吹さんは語っています
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この「吉備の穴海」に、3つの川から流れてきた土砂で海は浅くなり、大規模な干拓で1618年に下津井は陸続きになっています。

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  この付近は、瀬戸内海で最も海流が激しく操船がかなり難がった事から、風待ち港として下津井に港が出来きる事になり、下津井港には、ニシン粕を積んだ北前船が沢山寄港するようになったと。

  それは、塩分を含んだ干拓地では米の栽培は、難しく綿生産にはその肥料として、北海道のニシン粕が必要だった事と関係しています。

 綿の大規模生産から、児島では繊維生産の産業が発達し、学生服、ジーパンのヒット商品が生まれています。坂越の北前船の法被も、矢吹さんの紹介で作りました。
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 第12回のゲストだった小樽の貴賓館(ニシン御殿)を運営されている佐藤美智夫さんは、「ニシン粕は、北前船で運ばれ日本の農業の発展に貢献していた」と語っていましたが下津井はまさにそうです。
 この館は、岡山県が瀬戸大橋開通の後、児島地方の観光の拠点にと[むかし風]にと再現したもので、かって廻船問屋を営んでいた中西家の縫製工場跡にできていた事も矢吹さんは紹介していました。
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 下津井はまた金比羅参りでも栄え、後方の岡山より前面の四国や塩飽と関係が深かった事も話していました。この放送の翌月、近くの下津井祇園神社にも行きましたが、赤星宮神社の創建にもかかった塩飽の大工の棟梁についても話してくれました。
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 下津井には、2015年に初めて行き、その後北前船寄港地として坂越とも交流するようになりました。掲載の写真は、去年の坂越の大避神社で下津井節を披露して頂いた時のものです。この方々が岡山での北前船フォーラムでも披露されていました。

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矢吹さんは、この3月この館を退官されましたが引き続き児島観光協会の会長として活躍されています。
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この『進め!北前船』は、毎週金曜日14時から札幌しろいし局から放送されている「チェンバリスト明楽みゆき浪漫紀行」の後半で放送されています。

 その後、木曜日のFM七尾を皮切りに北前船寄港地13局で収録放送もされています。

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