『名城巡りと北前船の旅』

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の企画し紹介している

「北前船寄港地・船主集落の旅」第1回 兵庫津

北前船寄港地・船主集落の旅」第1回 兵庫津
 兵庫津で江戸時代からの商家「樽屋五兵衛」の12代目当主高田誠司さん(協和商事社長)の話を紹介する。

明石城での北前船のイベントで前井戸兵庫県知事と筆者は2018年高田氏と初めて会った。

 初代樽屋五兵衛は近江出身で、兵庫津(現神戸市兵庫区)で樽を作る商売を営み、北風荘右衛門や高田屋嘉兵衛など兵庫商人として北前船の時代から活躍していた。

(明楽みゆきさん 高田さん)

 
 高田さんは、2010年地元経営者と「(一社)よみがえる兵庫津連絡協議会」を立ち上げ、会長として活躍中である。
会の設立から10年、2020年の総会では民間・行政・政治が一体となった取り組みを計画し「神戸ルネサンス構想」を打ち出している。

 150年以上前の江戸時代の町衆から15の自治会を基盤に、「日本遺産の会」の活動が実を結び、2018年「北前船寄港地・船主集落」で、神戸では初めて日本遺産に認定された。高田さんの活動は、2020年11月1日の神戸新聞でも紹介された。 
 
兵庫津のほぼ中心部だった「大坂町奉行所兵庫勤番所跡」に、慶応4年(1868)に初代兵庫県庁が置かれた。ここに、2021年秋「県立兵庫津ミュージアム」(初代県庁館)が復元された。 これは高田さん達の日ごろの活動で実ったものだ。
 
出典 よみがえる兵庫津連絡協議会

「よみがえる兵庫津連絡協議会」の活動拠点「岡方倶楽部」は、江戸後期は3つの行政区画にわかれたその一つ岡方には惣会所が設けられていた。
 
 この跡地に昭和2年兵庫商人達の地域の社交場として建てられたのが、兵庫津歴史館 岡方倶楽部だった。



 工楽松右衛門、高田屋嘉兵衛の史跡は、兵庫津の「日本遺産」の構成文化財で、それぞれの出身地である高砂 洲本も日本遺産の構成文化財である。
 
 
 兵庫津に大坂奉行所があった背景が神戸市史に詳しく掲載されている。 
 
 幕府は、兵庫津が大坂を経由せず江戸への物資輸送をしていた等の理由をつけ、明和6年(1769)尼崎藩領から幕府領にし奉行の支配下に置いた。大坂の港を重視していた幕府は、兵庫津の商人は脅威で、幕府管理下に置き交易品の規制をしていた。
 
 
 次は、高田さんと「よみがえる兵庫津連絡協議会」で神戸を盛り上げている工楽隆造さん(工楽松右衛門の6代目)に松右衛門を語って頂いた。工楽さんとは、2019年長岡市での北前船寄港地フォーラムでお話している。

 
高砂出身の松右衛門は、15歳で志をもち兵庫津に行き船頭としての約25年の経験から「松右衛門帆布」を生み出した。
 
 当時の帆布は濡れると重く非効率だった。地元伝統の播州木綿を使い試行錯誤のうえ独特の織り方を工夫し、大きな和船に使える帆をこの兵庫津で完成させている。天明5(1785)年のことだった。
 
 その結果、より速くより遠くへ航行が可能になり、北前船が活躍する大きなきっかけとなった。
 工楽松右衛門は発明家でもあり帆布だけでなく、幕命によりエトロフ等に船着き場を作る工事にもかかわり、築港の工事専用船を設計して湊を完成させた。

工楽松右衛門の店があった佐比江(現在の猿田彦神社近く)
 
 享和2年(1802)、幕府はその功労を賞し、工楽(工夫を楽しむの意)の姓を与えた。高砂港の工事については、ブログ「第47回姫路城」で紹介している。

 

 
菜の花の沖』連載するにあたり 司馬遼太郎氏は、工楽さんのお父さんに松右衛門に話を聞きにこられている。

 工楽さんは、加賀市で開催されている「全国北前船セミナー」、「北前船寄港地フォーラム」に参加される等北前船の研究家でもある。