「名城巡りと北前船の旅」

FM札幌しろいし局放送の「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」を企画をしたものを紹介している

「すすめ北前船」第24回(利尻島)

「すすめ北前船」第24回(利尻島

 

 小坂実さんは、利尻で生まれ育ちで、NPO法人利尻ふる里島ずくりセンターの理事長をされている方。

以下の内容は、『北前船浪漫紀行第1部」としてkindle版と書籍をアマゾンから発売していますので記事はそちらからからご覧下さい


 
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 (写真は室谷元男さん明楽さん提供)
 
 


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「すすめ北前船」第23回(京丹後市)  

「すすめ北前船」第23回(京丹後市

 京丹後市教育委員会文化財保護課の新谷勝行課長と間人の「とト屋の宿」の女将の池田香代子さんの放送から紹介します。

 以下の内容は、『北前船浪漫紀行第1部」としてkindle版と書籍をアマゾンから発売していますので記事はそちらからからご覧下さい

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 写真     トリップアドバイザー

京丹後市間人は、高級松葉ガニの間人カニの地で丹後半島北部の集落。

 

「すすめ北前船」第22回(北前船寄港地フォーラム2)

 

 

「すすめ北前船」第22回(北前船寄港地フォーラムin坂井市三国湊)

 

 第24回北前船寄港地フォーラムin坂井市三国湊の2日間を放送から紹介します。

この詳細はkindle版 とアマゾンから発売中の紙書籍『北前船浪漫紀行第1部』でご覧ください

 


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(大連でのレセプションでの大和会長と)

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(長岡の北前船寄港地フォーラムでの大和さんと坂井市の方々)

 
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「すすめ北前船」第21回(秋田2)

「すすめ北前船」第21回(秋田2)
 
秋田から7月6日と13日放送の秋田市の観光案内人の佐藤節子さんですコメントを再構成したものです。
 この詳細はkindle版 とアマゾンから発売中の紙書籍『北前船浪漫紀行第1部』でご覧ください

 


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「すすめ北前船」第20回(塩飽の前半)  

 


すすめ北前船」第20回(塩飽前半)
塩飽の廻船について2018年3月から5回ありました。これを前半と後半の2回で紹介します。ゲストは塩飽出身で長崎県諫早市在住の吉田幸男さんは、『塩飽史』を出版され咸臨丸子孫の会の会員。
この詳細はkindle版 とアマゾンから発売中の書籍『北前船浪漫紀行第1部』でご覧ください

 

  
 
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「すすめ北前船」第18回(江差)

2021年1月の放送は、前半江差いにしえ資源研究会」代表の室谷元男さん。

室谷さんのこれまでの活動については、この後で紹介している。
 

今回は、室谷さんの紹介で江差追分会館の元館長・松村隆氏(95才)のお話を紹介する。

 松村さんは著書『江戸花街風土記』(2021.1月文芸社発行)から、江差の庶民文化、芸能について語っている。

 かって江差の浜小屋は、北前船で賑わう花街の中心にあり、何十軒もの茶屋があった。 この花街にあった芸が江差の文化の根源になり、これが江差追分へと発展していったという。

 この表紙は300年前の江差屏風で、この町で暮らしに根付いた人々の生き様を松村さんは詳しく語っている。

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 松村隆氏の書籍(明楽さん提供)

 
以下は、2017年11月と12月そして2018年8月3回の放送をまとめたもの。

 
 掲載の写真は  ゲスト室谷元男さん提供。

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  室谷さんは、「いにしえ街道歴史まち商店街」の立役者で「江差いにしえ資源研究会」代表として活躍されている。 
 いずれの放送も、北前船とニシン漁で繁栄していた江差町まちおこしに繋げてきた想いが伝わってくる。
  
 2017年の放送では、約30年前、兵庫県淡路の津名港で復元された高田屋嘉兵衛の辰悦丸が、瀬戸内海から日本海を北上、多くの港のある町を巻き込んで江差港に入港した感動を語ってる。
 この時の感動が、室谷さんの町おこしに繋がったようだ。
 この辰悦丸の航海はNHKが追い、日本海の港町に大旋風を巻き起こしていたと明楽さんも語っている。

 


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 明楽さんと右の室谷さん
 室谷さんは、毎年8月9日から11日まである「姥神大神宮渡御祭」も語っている。


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 3日間、祇園囃子にのって江差の町を練り歩き最も古い神輿は、江戸期に大阪で制作されたものがあり京都の祇園祭に似た所がある。
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 披露される、武者人形、能楽人形、文楽人形、歌舞伎人形は、時代を反映した人物で製作され、豪華13台の「ヤマ」が使われ、地区の宝物として各町内で大切に管理していた。
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 毎年、夏休みに合わせ子供達が練習する等、町全体でこの祭りを支え、江差で生まれ育った人は、「この祭りに合わせ帰郷する人は多い」と、江差から坂越に来られた江差コンベンション協会の西海谷さんもこの放送で語っている。


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江差町は、2017年4月北海道で初めて単独で日本遺産の認定を受けて、この祭りも構成文化財である。 
 
 そのストーリーは、「江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-」という有名な言葉。
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 「かもめ島」が天然の良港になり、北前船が沢山入港しニシンで反映出来た背景を紹介。
 
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 「かもめ島」も、日本遺産の構成文化財で、鳥取の「鳥ヶ島」の瀬戸内海の坂越の「生島」も「島」が構成文化財になっている。
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 江差と青森は、ヒバ 伝統芸能での交流も紹介している。
 江差西本願寺でヒバサミットが開催は、津軽海峡を挟んだ津軽半島下北半島江差をヒバで繋げる素晴しい試み。

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 かつて北前船の乗せたヒバが各地の神社の建築にも使われた歴史の軌跡が、現代の繋がりをチエンバロ演奏と北前船の講演があった。
 

 
 伝統芸能での交流は、国交省の全国の半島交流の企画が10年程前に始まったのをきっかけに、下北半島津軽半島の交流が始まったもの。
 

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津軽海峡をまたぐと、郷土芸能にも違いがあり江差津軽、下北との交流も紹介している。
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 青森の福浦地区の「漁民歌舞伎」は、県無形民俗文化財に指定され、明治時代に、上方の歌舞伎役者の中村菊五郎とその妻が福浦に訪れた際、地元の人々に歌舞伎を教えたのが始まり。冬の楽しみのなかった福浦の人々に受け継がれている。
 この放送から小豆島の農村歌舞伎を思いだした。

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 また2018年9月21日第56回江差追分の全国大会、翌22日のイベント(写真)の紹介があった。
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日本海側の各地から、北前船で運ばれてきた人形の話から人形祭りの話もあった。

 

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これらの放送は、いずれも北前船とニシン漁で繁栄していた江差町で、それを今に伝える「姥神大神宮渡御祭」でまちおこしに繋げてきた想いを熱く語っている。

 

  

「すすめ北前船」第19回(鳥取)

「すすめ北前船」第19回(鳥取

  お話は、鳥取市の賀露神社の岡村吉明宮司です。f:id:chopini:20180725175129j:image

 
   第22回北前船寄港地フォーラムがありゲストの岡村宮司も来られていました。このフォーラムから半年後、鳥取市北前船寄港地として日本遺産に認定された。

 

以下の内容は、『北前船浪漫紀行第1部」としてkindle版と書籍をアマゾンから発売していますので記事はそちらからからご覧下さい

 


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「すすめ北前船」第17回(木古内)

 

 「すすめ北前船」第17回(木古内

北海道新幹線の最初の駅がある木古内在住の多田賢淳さんです

 

 この詳細はkindle版 アマゾンからは発売中の紙書籍『北前船浪漫紀行第1部』でご覧ください

 

 写真提供 木古内町役場、木古内観光協会
 

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亡くなられた多田さんに感謝の心や悼む心を表します

「すすめ北前船」第16回(京都和束町から)

「すすめ北前船」第16回(京都和束町から和束茶)

 

   2018年1月26日のゲスト山岡かずみさんは、京都南に位置する和束町の和束茶のPR大使で「おもてなし煎茶師」として和束茶を広める数々のイベントを企画しています。

以下の内容は、『北前船浪漫紀行第1部」としてkindle版と書籍をアマゾンから発売していますので記事はそちらからからご覧下さい

 

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  1月にあった、鴨川のほとりのザ・リッツ・カールトン京都での和のティーコンサートは、和束茶を使いブレンドの仕方や温度や入れ方により、お茶の味わいの違いを披露。
  これは、山岡さんがプロデュースし、年4回開かれ今回が15回目だといいます。


  

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「すすめ北前船」第15回(宮津から進め!丹後天酒)



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これは、「明楽みゆきのチエンバロ浪漫紀行」の特別コーナー「進め!北前船」のfBのコメントを再構成したものです。

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2019年3月2日と9日は、宮津市の古田豊弘さんで、「天橋立酒鮮の宿まるやす」のオーナーで日本酒ソムリエ として活躍中の方


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 学生時代、なぜ京都でニシンそばなのか?そんな素朴な疑問があったといい、京都と北前船の繋がりに早い時期から関心があったようで、古田さんは、日本酒を広めた北前船等廻船との関わりを語っています。

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 日本海や瀬戸内海の北前船寄港地には、廻船業と酒造りが関連している例が数多くあり、秋田県にかほ市の飛良泉本舗は、創業 500 年の老舗酒蔵、新潟県村上市の宮尾酒造(〆張鶴)、山形県酒田市の東北銘醸(初孫)なども廻船問屋から酒蔵を営んでいます。

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 北前船寄港地を旅し地元の日本酒で楽しんだ、秋田市の鐙啓記さんの『北前船おっかけ旅日記』があり、このシリーズ14回のブログで紹介しています。

古田さんは、かって活躍していた北前船と山陰街道の歴史を活かした企画で観光庁にも行かれています。
この時、スケールメリットがあるい言われたのは、地元の鉄道やバスに呼びかけてフリー切符でまわりやすくしていたからだと思いました。
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今年5回目になる酒蔵祭りは、来週の5月26、27日に開催され100キロの範囲に12の酒蔵があり、去年は、3000人の方が来られ北海道からも6人が来られていたといい、地域お越しにもなっています。

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また、各都道府県が、奨励している米に代表されるものに兵庫県山田錦、そして福井県の500万石等米、その地の水の大切さも語っていました。

 北前船は、もともと酒田の米を江戸まで安全に運ぶ必要から生まれている事から明楽さんが、このFM放送が流れいる北前船寄港地のお米を質問すると、その地の特産の米の名前を即座に応えていました。
この米、酒の食を北前船寄港地を繋げて行きたい古田さんの想いが伝わってきました。

 古田さんは、「FMまいずる」でパーソナリティもされ毎週木曜日は、舞鶴発の観光情報ですが、毎週金曜日16時の放送では、日本酒ソムリエとして日本酒講座は、わかりやすい日本酒の話です。
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 また新たな企画として、宮津でラジオデビューすると、古田さんのFBに掲載がありました。これは、「fmたんご」で、毎週木曜のイブニング794の中のコーナー「食とお酒のマリッジ半島」で月一の番組「ムッシュ古田の 進め!丹後天酒」を、毎月の最終月曜日の20時からの放送で、6月25日から始まるといい今後、丹後から発信に期待が集まりそうです。


 今回掲載の写真は、古田豊弘さんのfbからお借りしています。 

 

「すすめ北前船」第14回(秋田)

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(2010年に明楽さんが立ち上げた「現代版北前船プロジェクト」)

 

鐙啓記さんは(一般社団法人)現代版北前船プロジェクト副理事長で、2021年5月の放送では最近の秋田を語っている。

 男鹿市戸賀湾の海底でいかり7本が発見され、これについて木造船研究の神奈川大の昆政明特任教授が「北前船」のものと分析されたことから、今後の研究に期待を寄せていた。

 熊本牛深から秋田にかたちを変えて伝えられた「大正寺おけさ」は、日本遺産構成文化財の一つで、このシリーズ第56回『牛深ハイヤ節』で紹介している。

 また秋田に運ばれた石が、どの寄港地から運ばれた石かDNA解析で分析が可能になった話もある。

  

 更に、江差の松村隆氏の書籍(写真)にもふれ、現在90才の氏の活躍を称賛している。

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鐙さんは(一社) 現代版北前船プロジェクトの副理事長として、

全国の北前船の寄港地を訪問し、再び写真を撮りたいと語っている。

 

 2018年の放送では、NPO法人あきた地域資源ワーク理事長として出演され、2000年から2001年にかけ全国の北前船寄港地200箇所を取材し、出版した詳細を語っている。
 

 坂井市北前船寄港地フォーラムで、作家の加藤貞仁さんが、写真家と延べ80日かけ北前船の寄港地を取材した話をしていましたがこの写真家が鐙さん。

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 掲載されている400枚近い写真は、全て鐙さんが撮ったものである。

ブログでも坂越の大避神社の生浪島宮司の話として、日本で2番目に古い絵馬があると掲載。

 当時、北前船の活躍の歴史を知らない地域がたくさんあり、北前船の関係の書籍は大学等の研究者しか読めない現実が、出版のきっかけだったという。

 北前船寄港地の日本遺産認定で、北前船にダイナミックな動きがでてきたと〜

 市町史の中に北前船の記述が少ないことから、この書籍が自治体のバイブルのようになり、出版した意味が出てきたと語る。
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 2018年の夏休み、日本財団、地域のテレビ局の協力を得て秋田市土崎の小学生5年生を対象に北前船の勉強会で壁新聞をつくる企画に、鐙さんがお手伝をしている。


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2017年の放送は6月と12月で12月の後の後、神奈川大学の昆正明特任教授を明楽さんと鐙さんが訪ねている。

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 神奈川大学常民文化研究所で案内する昆特任教授と鐙さん(右側)

鐙さんが、北前船の本を出版する時、昆氏に 船の基礎的な事を教わったという。

 昆氏は民族学専門の常民文化研究所がある神奈川大学の特任教授。

インタビューでは、常民文化の研究で知られている宮本常一の話もある。

 常一は全国を歩き、地元の専門家に生活や歴史を取材し『私の日本地図』のシリーズがある。その⑫『備讃の瀬戸付近』では、坂越の港についても写真入りで掲載されている。
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   無明社の編集長だった鐙さんも、全国の北前船の寄港地を車で取材し、ブログそして書籍『北前船おっかけ旅日記』を出版された。

 寄港地での取材の裏話、夜は地元の方と酒を飲み交わし、美味しい食べ物も紹介している。
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 鐙さんは活動中のジオパークの話では、現在全国43地域のジオパークの中で10ヶ所程が北前船寄港地にある。ジオパークと北前船で繋げ、北前船に詳しい方を増やしていきたいとその想い語っている。 

 2017年11月鳥取での北前船寄港地フォーラムで、来賓として挨拶された石破茂衆議院議員も、地元鳥取北前船についてよく知らないと挨拶の中で語っている。これは、義務教育で北前船を深く取り上げて来なかったかもしれない。

  
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 そんな中、北前船寄港地の日本遺産認定で、北前船拡大機構の企画から義務教育の現場から子供達に伝え残す取り組みが日本遺産認定地域であった。

 小樽に子供達が集まり北前船の勉強会をした話から、北前船の発着地大阪から北前船の企画をしたいと明楽さんと語る。

 2017年6月の放送では、2010年の「現代版北前船プロジェクト」を立ち上げ

、鐙さんと北前船ツアーの企画を懐かしく振り返っている。

 この50日程前、北前船寄港地が初めて日本遺産に登録された。秋田市が最初に認定されたが、鐙さんは土崎港の事前調査で報告書を提出する等、秋田市の日本遺産認定に協力をしている。

 
この「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」の「すすめ!北前船」を再構成したもので、掲載の写真の一部は、明楽さんのfbから掲載しています。

 

 

「すすめ!北前船」第13回(下津井)

「すすめ!北前船」第13回

 今回は、倉敷市の「むかし下津井廻船問屋」の矢吹勝利館長だった2017年8月と2018年3月、そして2019年4月、下津井シービレッジプロジェクトのセンター長として話をして頂いた。
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児島半島の先端の下津井は、かっては「吉備の児島」と呼ばれた島で、本州との間に「吉備の穴海」(写真)の南に位置していた。

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    (児島駅前で)
 この「吉備の穴海」に、高梁川旭川、吉井川の3つの一級河川から、流れてきた土砂で海はだんだん浅くなっていく。
 岡山藩主の池田氏が、下津井城を大改修(と同時に城下町として町を整備する中、「吉備の穴海」の埋め立てを加速させ陸続きになる。(1618)。

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 下津井城跡 2018.4

  しかし、幕府の「一国一城令」で下津井城は廃城(1639)され、下津井は城下町から港町として発展する。

 塩分を含んだ広大な干拓地では、米の栽培は難しく、綿、藍、井草の生産された。

その肥料として大量のニシン粕が必要で、下津井港にニシン粕を積んだ北前船が沢山寄港するようになる。この付近はもともと、瀬戸内海で最も海流が激しく操船がかなり難かしかった事から、潮まち港として下津井が賑わうようになる。

80隻の帆船の入港で花街としても賑わい、その一つに下津井節があり今では 下津井節全国大会もあるという。

 この繁栄も日露戦争(1905)までで、北前船は全国的に衰退、下津井港も大型船は激減、綿も外国からの流入とで打撃を受ける。

 こうした中、1916年に学生服を開発、戦後は倉敷のジーンズがブランドで「繊維の町」として全国に知られます。

 2018年3月放送では、平成に入り瀬戸大橋開通から、岡山県が児島地方の観光の拠点にと、廻船問屋を営んでいた中西家の縫製工場跡に「むかし下津井廻船問屋」を開いた背景を紹介している。

 2019年の放送では、 この館長として活躍していた矢吹さんに、地元の方々から過疎化、空き家に対する対策への相談が多く寄せられたという。

 この対策に地元の方々の後押しもあって出来たのが、矢吹さんが中心になり企画した下津井シービレッジプロジェクトだ。

このプロジェクトは、漁業協同組合等多くの地元の方々の協力で下津井廻船問屋の横に

2019年4オープンした。

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(2019年5月 下津井フェスティバル 矢吹さんは前列右側)

 最近は、若い人が移住するケースがあり、対岸の直島から下津井に外人が来ることが多くなったという。

 このニシン粕と綿そして北前船の繋がりから、倉敷市石狩市の子供達の交流学習を北海道新聞が報道しています。これをブロデュースしたのが石狩市の石黒龍一さん。f:id:chopini:20191024175507j:image

  写真 石黒隆一さん提供

これをまとめた冊子「北前船全国こども調査団ブック2018」は38市町に11月に配布された。瀬戸内海では、呉市御手洗、倉敷市下津井、赤穂市坂越で実施された。

 倉敷では、こども新聞のキッャチフレーズが、「鰊粕と綿で栄えた港町の歴史」に対し、石狩では「石狩に来た北前船は行きも帰りも宝船」。 石狩厚田の登り船の積み荷のニシン粕が、綿の肥料として下津井では重宝され世界のジーインズが誕生する。

 下津井は、金比羅参りでも栄え後方の岡山より前面の四国や塩飽と関係が深かった事も紹介しています。
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 2018年3月放送の翌月、紹介された下津井祇園神社にも行き、赤星宮神社の創建にもかかった塩飽の大工の棟梁の話を聞いた。

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 下津井には、2015年秋に初めて行き当時の矢吹館長に下津井の北前船の活躍を案内していただいた。

  

 

 

 



 

「すすめ北前船」第12回(小樽)

「すすめ北前船」第12回(小樽1)

2018年3月16日のゲストは、札幌在住の佐藤美智夫さんで小樽の旧青山別邸への想いを語っています。

 (写真提供 にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸))



  

 小樽市に残る旧青山別邸(貴賓館)は、3代目17歳の青山政恵が、酒田の本間邸に魅せられその夢を、初代の青山留吉と政吉の親子二代が、鰊漁で巨万の富を得た資金で叶えたものです。

 旧青山貴賓邸は、大正6年から6年余りをかけ建てられ、平成22年国の登録有形文化財に登録されています。

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 約1500坪の敷地内に木造2階建ての190坪の建坪で、6畳~15畳の部屋が18室、それぞれに異なった趣きにとロマンがあると明楽さんが案内しています。

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 高い天井がある貴賓館の一角で、チェンバロ演奏をしたお礼の挨拶からインタビューが始まります。
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 佐藤さんが、40歳の時この青山別邸を見て気に入り、持ち主と会って2か月もたたないうちにこの別邸を譲り受けたといいます。

 

 この時、東京や大阪からも話がある中で、佐藤さんが管理する事になった、佐藤さんの想いや情熱が持ち主に伝わったのがわかります。
 

 大正時代の造り方材料、直し方にもこだわり、昔のままを保つ事に力を注いで来られた中で瓦修復をしています。

 それは10年前程前の事で使う瓦、瓦の下の木にもこだわった瓦職人の気概を熱く語っています。

 瓦の下の木は腐っているはずと、現代の木ではなじまないからと、大正時代の木にもこだわり、瓦も当時の焼き方で焼いた瓦をでないと修復はしない兵庫県の瓦職人をたたえていました。

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佐藤さんは、時代の木を探しだし、24000枚の瓦を4か月半かかったと語っていました。

 この青山別邸は、山形県から60人程の宮大工や建具職人等が建造に関わり、高い天井の板は紀元前4世紀の鳥海山の木、廊下や柱、階段などの木は、神代杉、屋久杉など、北前船で運ばれていたといいます。 

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 各部屋には絵や工芸品の数々が展示されています。

 

佐藤さんが自ら手入した牡丹400株、芍薬は37種300株、ゆり300株、アジサイが600株が、次々と綺麗に咲いている庭からも情熱が伝わってきます。

 

ニシンは、食べるだけでなくそのカスは肥料として北前船で運ばれ、これが日本の農業の発展に貢献していたと語っています。

この鰊カスを肥料にして、綿の生産から更に発展させた倉敷市児島地区の下津井の話につながります。

 

すすめ!北前船」第11回(石狩)

 


すすめ!北前船」第11回(石狩)

2018年2月と11月そして2019年のゲストは、石狩市郷土史研究会の事務局長の石黒隆一さん。

   この詳細はkindle版 アマゾンからは発売中の紙書籍『北前船浪漫紀行第1部』でご覧ください

 

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その後は、シーカヤックで坂越湾へ。   

明楽さんの放送にあわせて戻り、坂越まち並み館で2人で聴きました。

 この日は、今回北前船で日本遺産に追加認定された室津

石狩に住む石黒さんが、坂越に近い室津からの放送を不思議な気持ちで聴いたと応えています。

その後、赤穂歴史博物館館で木曽こころ学芸員に赤穂塩について熱心に質問され

の書籍を沢山買っていました。 

 石黒さんは、経済の原則論から塩の販路を分析しています。

 

  

 

 

 

「すすめ北前船」第10回(有田町) 

 

「すすめ北前船」第10回(有田町) 

2月16日と23日のゲスト蒲池孝典さんは 東西古今 明治伊万里研究所の代表取締役でギャラリー花伝の運営もされている方です。
写真提供 蒲地孝典さん
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 東西古今 明治伊万里研究所の代表取締役の蒲池孝典さんは、ギャラリー花伝の運営もされ、

明治古伊万里の「美」の世界を語っています。


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  古伊万里は、18世紀に入るとオランダからイギリスに貿易の主導権が移り、ドイツのマイセン、中国磁器が活躍するようになり、古伊万里は国内に活路を見出します。

 その結果、高級品から庶民向けまでの伊万里焼が、伊万里港から全国に船で運ばれ、大阪の佐賀藩指定の卸問屋にも運ばれます。
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 伊万里焼は、大阪からも全国に運ばれ、小浜、三国、福浦(石川)佐渡、酒田、松前では、大量の古伊万里が発見されています。


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 古伊万里が、ヨーロッパに大量に輸出された18世紀末迄が第一の黄金期だといい、第二期は、幕末パリ万博に伊万里焼の出品がきっかけです。
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明治始めは、文明開花の言葉がはやり、明治政府の日本の伝統美の推進、輸出拡大政策から黄金期でした。
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 西洋食器の文化を融合させた明治古伊万里が、明治16年鹿鳴館で使われた事から輸出が加速します。

 しかし大量に生産が出来なかった事から、価格競争に負け明治末に現在のノリタケに生産が移転されます。f:id:chopini:20190712213656j:image

まだ帆船の時代に、佐賀の小城藩主から蒸気船「大木丸」を与えられた久富 与平昌起を紹介しています。与平は、海運と貿易で五大州を廻らんと望んでおり、

 佐賀と釧路航路でも活躍していた与兵の大木丸は、明治初め千島沖で難破し半年余り漂流し病死する。

 この時、「遺体は海中に投ぜよ。死後長鯨に跨って初志を遂げん」と言い残していたといい、有田町の報恩寺には、鯨をかたどった台座に与平の碑が建っていると語っています。
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その後、佐賀の武富善吉が釧路で活躍し、釧路で知らない人はいないとの放送でした。